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永遠に残るもの

私の欲しているもの。
その一つが、「永遠(とわ)に残るもの」である。

少し贅沢だろうか?

この世界に存在している、その時点で、この世界のあらゆるものは
生まれては消え、消えては生まれる事を余儀なくされる。

星の命、寿命であっても永遠ではない。
その時点で、「永遠に残るものなどない」と言い切ってしまい得るだろうか?

それに比べると、人の寿命は、たかだか100年くらいで、
永遠に続くなどという訳にはいかない。

自分自身に生じる「感情」や「思い」といったものも、
一時的なもので、確かに永遠に続くものではない。

では、この「私」とは一体、何であるか?
なぜ、自分自身はこの世に生まれ、この世界を生きているのか?

私自身、「生まれれば死ぬ、死ねば無になる」と言い切れてしまえるなら、
つまり、「生まれれば、無になる」と言い切れてしまえるなら、
確かに人生を生きるのが、少し楽になるのかもしれないと思う時もある。

ただ、「無になる人生を生きる事に、何の意味があるのか?」
それが、どうしても頭に残ってしまう。
そして、「無とは何か?」について、考えざるを得なくなる。

逆に、「この世界も、私自身(私自身から見た世界)も永遠に残る」と
仮定するならどうだろう?

こう仮定する事に、「根拠はない」。

ないけれど、「宇宙は無になる。私も無になる」という主張にも
際立って説得的な「根拠などない」。

この世界に残るものと、自分自身に残るもの。
どちらにも意味があって、どちらも大切なものであるのであれば。。。

そう考えるのであれば、大切なもの、永遠に残るもの、
それを必死に追い求める必要もないのかもしれない。

何故なら、もうすでに、自分自身が生きる場として、
また、自分自身の内面に、大切に存在しているものであるのだから。

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