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井伏鱒二の山椒魚は”ひきこもり”

どうも、現役ひきこもりニート22歳です。
暇つぶしに井伏鱒二という作家の代表作らしい「山椒魚」という作品を読んでみたのですが、、、

これはひきこもりの話じゃないか!?

てなわけでひきこもり流の山椒魚の解釈を書いていこうと思います。

あらすじは
「山椒魚が岩屋(洞窟みたいなところ)に入って2年ぐらいゆっくりしてて、久々に外に出ようと思ったけど自分の体がデカくなってて岩屋から出れなくなった」
みたいな話。

まあひきこもりになっちゃったって話でしょ(雑)

うおー!って出口に突進したりするけど、頭がコルク栓みたいに詰まっちゃってやっぱり出れないっていう。
このことから脱ひきこもりを望んでいることがわかる。

だれしもひきこもりなんか嫌だよって文章も書かれてる。

いかなる瘋癲病者も、自分の幽閉されている部屋から解放してもらいたいと絶えず願っているではないか。最も人間嫌いな囚人でさえも、これと同じことを欲しているではないか。

人と関わりたくはないけど、外に出たいっていうのはたしかにある。

山椒魚くんは外で泳いでる魚とかカエルを出口から羨ましそうに見るんだよねぇ。
窓から外の景色を覗いてるひきこもりですよ。

メダカの群れがいてさ、見てたらとある面白いことに気づくわけだよ。
1匹が左に行けば他の小魚たちも左に行くし、またある1匹が右に行けば他のみんなも右に行ってる。そういう習性なんだろうね。

んでそれをみて
「こいつらは自分の意志がないのか!なんと不自由千万な奴らなんだ!」って感じで嘲笑するわけ。

もうしっかりひねくれちゃってんだよね。
「お前らミーハー乙!」みたいなことでしょ?
まんま現代のひきこもりだよね、まあ俺なんだけどさ。

モニターという窓を通じてネットで外の世界を見て、ひねくれたこと書き込んでるわけだ。


そんであるとき、
「くったりしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦(バカ)だよ」ってなってやっぱり外に出よう!って決意するわけ。これ素晴らしいよね。

そんで出口めがけて突進するんだけどやっぱり出れないんだよねぇ。体がデカくて詰まっちゃう。

外見てたらカエルが気持ちよさそうに泳いでるわけですよ。それでいよいよ山椒魚くんは落ち込んでしまう。

山椒魚はこれらの活潑な動作と光景とを感動の瞳で眺めていたが、やがて彼は自分を感動させるものから、むしろ目を避けた方がいいということに気がついた。彼は目を閉じてみた。悲しかった。彼は彼自身のことをたとえばブリキの切屑であると思ったのである。

これはインスタでキラキラしてる人たちを見て落ち込むのと一緒だよね。
「羨ましいなぁ…。それに比べて俺は…」
っていう。


そんなとき、岩屋にカエルが紛れ込んでくるんだよ。
もういよいよひねくれてるから、山椒魚はカエルに通せんぼをして出れないようにしちゃった。

しかもそのカエルがかつて川を気持ちよさそうに泳いでいて山椒魚を羨ましがらせたあのカエルなんだよ!
こうして人の足を引っ張るようになるんだなぁ。

カエルもブチ切れて「ふざけんなバーカ」とか言って。
山椒魚も「お前のほうがバーカ」とかいって口喧嘩するわけよ。

冬は二匹とも静かに冬眠して、また夏になって目覚めたら口喧嘩。

そんなことしてて、結局カエルは2年ほどその岩屋閉じ込められて最後は空腹で動けなくなる。

そして最後に

よほどしばらくしてから山椒魚はたずねた。 「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」  
相手はきわめて遠慮がちに答えた。
「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。」

これって
「…俺のこと怒ってる?」
「怒ってないよ」
みたいなことだろ、たぶん。

これ言われるとキツいかもなぁ。
「怒ってるに決まってんだろボケ」とか言われたほうがまだラクだよね。
こんだけ酷いことしといて「怒ってない」って言われたほうが罪悪感やばいよな。


とまあ、このような解釈をしました。
結末としてはひきこもりバッドエンドだな、うん。

かなりひきこもりと結びつけるにはこじつけな部分もあるけど、でも今の俺にはこういう解釈しかできなかったね。

もう100年近く前の作品みたいだけど、今でもバリバリ通じる内容に驚く。名作あるあるだよな、古いのに新しいっていう。

いかんせん文学的素養がなくて、文章のここがすごい!とか、こういう構成が見事!とかそういう感想は書けないんだけど、もう読みはじめてすぐに「俺と同じひきこもりの話じゃん!」ってなりました。

他の人がどういう解釈してんのか知りたいね。
そんなところで、今日は終わりにしときます。

俺は山椒魚のようにはならない!脱引きこもり!

以上🐸

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