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学校生活の記憶

社会性のなさがつらい

子供の頃から学校という場所が苦手でした。
集団行動が好きではなく、友達ができない私にとっては学校にいる時間の大部分が苦痛の時間でした。
今は自由で、集団行動を強いられることもなければ友達がいないからといってぼっちと言われることもありません。大人になるっていいですね。
そんな私の学校生活の様子を書いていこうと思います。

小学校

小学校は、私にとって「給食を食べにいく場所」でした。通っていた小学校の給食がとてもおいしくて、毎日給食を楽しみに登校していました。カレーライスや味噌ラーメンといった定番メニューの他、いか飯やちまき、鯨肉といった変わったメニューまでありました。
母が教育熱心だったため、小学校の授業は至極簡単でつまらないものでした。ただ、当時から人に教えることは苦手で、問題がわからない同級生に解き方を教えたときに理解してもらえなかった記憶があります。本当に頭が良い人って、人に教えるのもうまいですよね。憧れます。
それはさておき、低学年の頃は友達が家に遊びにきたりするなどそれなりに楽しくやっていたと思います。小学4年生から中学受験塾に通い始めると、勉強中心の生活になり小学校生活が一気に楽しくなくなっていきます。追いうちをかけたのは、小学5・6年生のときの担任の先生でした。あまり悪口は言いたくないですが、私はとにかくその人が嫌いでした。一番覚えているのは、「生活力がない」と言われたことです。小学生って生活力求められるんですかね?ひいきをする人で、素直でかわいく子供らしい子がお気に入りだったようです。私は休み時間に校庭で遊んでいる生徒を教室の窓から眺めるのが好きだったのですが、そうしていると「外へ遊びに行きなさい」と言われました。教室を追い出された私は図書室へ行くか、飼育小屋の前でぼんやりとチャボやうさぎを見ていました。給食の時間、食べ終わって時間があったので本を読んでいると、周りの人とおしゃべりしなさいと言われました。何を話すのだろうかと子供だった私は思いました。
またある時は、休み時間に本を読んでいたら次の授業が教室移動であることを忘れて、皆が教室の後ろに整列しているのに一人だけ椅子に座って本に夢中になっていました。
そんな中猛勉強して志望校に合格しました。

中学・高校

中高一貫校に入学した私は、運動部に入りました(具体的に何部かは内緒)。運動部に入った理由は、「運動不足解消のため」です。部活には休まず行っていましたし合宿にも参加していました。いつも嫌々行っていました。根本的に運動が苦手なんですね。ただ、始めたからには最後までやり遂げたいという意地で引退まで続けました。そんな部員は周りにとってさぞかし迷惑であっただろうと思います。けれど他の部員は優しく接してくれました。彼女たちのほうが私よりずっと大人でした。

中学から高校へエスカレーター式で上がるとき、一人ずつ担任による面談が行われました。「高校行きたい?」と聞かれ「はい。」と答えると、「なんで?」と聞くので「勉強するためです。」と言うと、「じゃあ別の高校行けばいいじゃん。」と言われました。え?どゆこと?高校って勉強するために行くんじゃないの?と戸惑いました。後にクラスメートが「〇〇(学校名)が好きだからです!って答えたー!」というのを聞き、なるほど、そういう答えを求めてるのね、と冷めた頭で思いました。

体育の授業でグラウンドへ移動するとき、他の生徒は友達とわいわいおしゃべりしながら移動しているのに、私は一人で移動していました。キャッチボールの練習では2人組になるように言われ、参加者が奇数だと相手がいなくなるので毎回ヒヤヒヤしていました。昼休みは母がせっかく早起きして作ってくれたお弁当を一人でもそもそ食べているのが母に申し訳なかったです。

大学

大学に進学した理由は、「学歴をつけるため」です。学部の授業はあまり興味が持てず、もっぱら第二外国語で選択した中国語の勉強に精を出していました。語学の授業は本当におもしろかったですね。
相変わらず友達がいなかったので、昼休みは一人で昼食を食べていました。
サークル活動にも積極的に参加していました。サークル活動が楽しくて、サークル中心の生活を送っていました。
そんな日々は4年間は続きませんでした。学生時代に統合失調症を発症し、入院。退院し、浦島太郎状態で家に戻るとやる気が起きず毎日寝てばかりの日々が続きます。大学はなんとか卒業しました。そのような状態の中で大学を卒業できたのが誇りでもあり、卒業させてくれた両親に感謝をしています。幻聴と妄想でサークルのことが出てきたので、サークルからも足が遠のきました。

学校生活を振り返って

もっと遊びたかった。これに尽きます。
友達と遊びに行ったのは数えるほどしかありません。
私は性格の悪い人間でした。勉強さえしてればいい、勉強ができる人がえらい、そう思っていました。友達がいないのも当然です。

どこで道を誤ったのだろうかと時々考えます。そしていつも、生まれたときから間違っていたのだという結論に達して希望を失います。ただ最近は、親がどのような気持ちで私を産み育てたのかということを思うと、そういう考え方をするのは良くないなと感じます。

こんな人間ですが、今は体調が安定し恋人もいて少しずつ人生が好転してきています。

ここに書いたような記憶は生涯忘れないだろうと思います。





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