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ペンと私の物語

自分では最近のことだと思っているのに、改めて年号を確認するとあまりの昔っぷりに驚くことはないだろうか。
今回書くのはそんな、およそ25年ほど前のできごと。
ぺんてるのハイブリッド〈絹物語〉の思い出のお話。

大好きだったのに、いっしょにいれた期間は短くて、今はもう手元にない。
生産・販売終了商品で、入手も難しい。
そんなペンと私の物語。

ラスボスのような、幻のポケモンのような

その昔小学生だった時分から文房具、特に筆記用具が好きだった。
その中でも様々な色合いのペンは、おもちゃよりは比較的安く手に入れられるし、学校にも持ち込めるので、小学生がお小遣いで手に入れるには都合がよかった。

私だけでなく、クラスにはそういうペン好きの子は多かったと記憶している。
休み時間のたびにやれあのペンはどうだ、このペンの色はこうだと話しては、自由帳に当時ちょうど流行りだしたポケモンのイラストを描く。

収集癖の片鱗を見せ始めた当時の私は、まるでポケモン図鑑を埋めるかのような感覚で、好きな色だけ買うというより全ての色を集めることに喜びを見出していた。
同級生にはバラで好きな色だけ買っている子もいて、今思えばこの辺、現在も自分が持ち合わせている”こだわりの強さ”という部分に通ずるものがあるのだなと感じる。
今なら楽しみ方は人それぞれだと思えるが、当時の私にとっては集めることこそ最大の喜びで、同級生の買い方が不思議でならなかった。

余談だが、ポケモンのゲーム内でもバトルより図鑑を埋めることに重きを置くタイプの人間である。

そんな私の前に、まさにラスボス級のペンが現れる。
いや、強さよりも収集に重きを置く私としては、なかなかお目にかかれない幻のポケモンというべきか。
それこそが、〈絹物語〉である。

〈絹物語〉ゲットだぜ!

私の絹物語は確か、お年玉をはたいて買ったように記憶している。
正直に言うと、売り場でどのようにして出会ったのかは覚えていない。
だが、全20色という集め甲斐のあるラインナップ、かつ布箱入りで高級感があるので、お年玉を使う普段より背伸びした買い物の対象としては申し分なく、当時の私が嬉々として選んでいるようすが目に浮かぶ。

まだインターネットがそれほど普及していなかった時代、文房具の情報など仕入れる手段はそれほどなく、売り場で見つけるか、持っている人から話を聞くかしかなかった。
たしかクラスで仲のいい子は持っていなかったし、持っている子がいたとしても箱入りのところは見たことがない。

最高の買い物だと思った。

当時の私は鉛筆に消しゴム、定規などの授業に使うものと、休み時間のお絵描きやノートの有効活用(という名のらくがき)のためのペンを合わせて、重量級の筆箱をなんと三つも持って行っていた。
既にそんな状態なのに、いやそんな状態だからこそだろうか。
新たに20本増やすということに何の抵抗もなく、私は絹物語を学校へ箱ごと連れて行った。

現代の文明の利器、インターネットで調べたところ絹物語はこんなペンである。

日本の伝統色20色をメタリック調のインキで揃えたボールペン。透明調のボディを通して見えるインキ色が際立つデザインは、まさに絹のような質感を感じさせる。

ハイブリッド〈絹物語〉 | ぺんてる株式会社 https://www.pentel.co.jp/corporate/design/99a1122/

私の記憶により補足すると、1本毎に番号が振られ、漢字で色の名前が書かれていた。
ほとんどが二~三文字の名前で、縦書きでキャップに記されていたと思う。

学校で使う色鉛筆や絵の具とは違う、大人びた名前に背伸びした気分になった。
さすがのこだわりの強さをもってしても小学生の私には難しい漢字が多く色名を全部覚えることは叶わなかったが、それでもすべての色が上品で繊細な色合いをしていたことははっきりと覚えている。

私はこのペンが大好きで、休み時間のお絵描きでは飽き足らず本来鉛筆で行うべき授業中の板書にも使っていた。
文字を書いたときにはっきり見える濃い色を起点に装飾用の薄い色を選び6本ほどを筆箱に入れ、残りは箱のまま学校机の中に収める。
休み時間のお絵描きの際に、次の教科に合わせてペンを入れ替える。

まるでポケモンの手持ちの入れ替えである。

そのうち授業中でも椅子の後ろ側に重心を傾けて箱を机から引き出し、ペンの入れ替えをするようになった。
当時は知らなかった言葉だが、”一軍”と呼ぶのにふさわしい、よく使うペンだった。

小学生最後の年のことである。

いざさらば

さて、そんなペンとどうして別れることになったのか。
事の発端は、卒業という一大イベントが差し迫った頃にペン好き仲間の友達が放ったひとこと。

「ねぇこのペン、インク減ってるし買い替えるでしょ?」

そのペンは、インクが減っているという状態を通り越して、使い切る寸前と言うほうが正しかった。
今までにペンを使い切ったことが無かったのでどうするのが正解かはわからなかったが、他のペンを差し置いてよく使うくらい大好きなペンだったこと、絹物語が箱に全色揃ったペンなのでまた揃った状態にしたほうが良さそうであること、私自身がペン好き・収集好きであるという事情を併せて考えれば、そうしたほうが良いと思えたのだった。
その旨を伝えると、その子が次の一手を放つ。

「だったら、これちょうだい?」

その子が言うには、”記念に”ほしいということであった。
実のところ私は、家の都合で卒業と同時に他の地域へ引っ越すことが決まっていた。
転校というわけではないけれど、クラスの大半が同じ中学へ進学する中でのこの状況は、友達と離れ離れになるという点においてはほぼそれと同じだった。

それまで転校していった友人たちは皆、挨拶代わりに鉛筆の一本でも配っていった。
だがちょうど卒業と重なるので、そういったものは用意していない。
そんなこともあったので、私はその子のお願いを承諾し、ほぼ空っぽだけどいいのかなと思いつつもペンを渡すことにした。

それが絹物語との別れの始まりだった。
その時周りにいたペン好きの友達は、その子だけではない。

「ねぇ、このペンもインク減ってるよ」
「このペンはどう?」
「餞別にちょうだい!」

大・物色大会が始まった。
いつしかさして仲の良いわけでもない友人も交じって、さらには絹物語のみならず三つの筆箱にまで友人たちの手が伸びていく。

今戻れるなら、いろいろ言いたいことはある。
「インクが減っているのはお気に入りのペンなの」
「餞別って使い方間違っているよ。それを言うんなら、君たちが私に何かおくれよ」

だけど当時の私は、ひとりクラスの輪から離れようとする自分のことを忘れないための記念という理由がなんとなくうれしく、聞かれたものはほとんど友人たちにばらまいていった。

こうして20本あった絹物語はバラバラになった。
コンプリートから欠けた絹物語は、同じく中身が減った筆箱の中へ移った。
足りないものはまた買おう、そう思っていたのに引っ越す前も後も、売り場で絹物語と出会うことはなかった。
小学校よりも堅苦しさを感じる中学校生活で筆箱三つを持ち歩く暴挙などする勇気があるはずもなく、いつしか筆箱の中身は淘汰されていった。
他のペンに紛れていつの間にか絹物語は私の元から完全にいなくなっていた。

物語のおわりに

そんなこんなで四半世紀が経った。
今は絹物語そのものどころか、それで書いたノートの端切れすら手元にない。
ポケモンなら一度手に入れたものはずっと図鑑に残るのに、まるでページが抜け落ちてしまったかのように手元からいなくなった。
まさに幻のようだった。

絹物語の生産終了を知ったのは随分後のことだった。
そして、世に出た製品にも終わりはあるということに気がついたのもずっと大人に近づいてからだった。

今思えば、明らかにコレクション性の高い箱入りのペンを持ち歩いたり、インクの減りを気にせずに惜しげもなく使ったりという当時の私の振る舞いは何も知らない子供だからこそできたことだった。
今の私が手にしたらもっと使うのに慎重になる。
大好きなペンなのに、その貴重さにおののいて使えないという状態に陥るだろう。
無邪気に扱えるあの頃だからこそ、手元に迎えることができたペンだったのかもしれない。

今でも日本の色名が付いた文房具を見つけては、絹物語を思い出す。
一緒に過ごした時間はほんのひと時だったけれど、その存在が示した色の美しさと数々の教訓は確かに私の中に根付いている。

当時の私にとっても今の私にとっても、絹物語は素晴らしいペンだ。

手元に残る唯一の思い出の品。
ちなみに離散のきっかけとなった一軍中の一軍は”縹色(はなだいろ)”。
使う度、なぜだかスーパーゲームボーイで青色に色付くポケモンのハナダシティのことを思い浮かべていたのだが、それは街が色名を由来にしていて、縹色は青といわれる色の種類だからだとはっきりと思考が結びつくのはまだまだ先のことだった。

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