夜更けの抑止力

 寒い。11月にしては季節外れの暖かさになった日中と打って変わって、この夜9時の寒さたるや、微笑む聖女が鬼の形相に変わって平手打ちをしてきたかのように凶暴極まりない。もっとも、この小春日和に浮かれて薄着で出かけた自分が悪いことはよくわかっている。腕を身体にしっかりと巻きつけて、一刻も早く家に着くため歩を進める。駅から15分弱の道のりにはコンビニもない田舎道で、星がはっきりと見える冴え冴えとした空が一層寒さを際立たせた。

 ほとんど小走りになって家の中へ飛び込むと、その温度差でつーっと鼻が垂れた。それをすすりながらリビングに入って明かりをつける。しんとした部屋の中は、遠くから電車の音が聞こえる以外音はなく、遠慮なく放ったくしゃみの音がやたら大きく響く。

 ジャケットを脱ぎながらテレビのスイッチを入れ、そのまま冷蔵庫へ向かう。指先も、足先も冷え切っているが、この乾燥した空気の中小走りで帰ってきて喉がカラカラだ。唾液を飲み込むのもやっとな程干上がっている。

 目指すものはただ一つ。ビールだ。冷蔵庫を覗くとチルド室で冷え冷えキンキンになって待機しているビールたち。チルド室の正しい使い方ではないことは承知しているが、私はビールを常にチルド室で冷やすことにしている。だいぶ前に冷蔵庫のスペースが足りず、チルド室のスペースを失敬してからというもの、この凍結寸前キンキンビールにハマってしまったのだ。お店で飲む氷点下ビールに勝るとも劣らない、この喉をちくちくと刺す泡の刺激と喉越しは最高の一言に尽きる。

 プルタブを開ける軽快な音と共にさあ一口、といったところでテレビに目をやると画面いっぱいに映し出されたラーメンの画に動きが止まる。湯気があがり、つやつや光るスープと点々と浮かぶ旨味のもとの油。その上に無造作に置かれたネギとほうれん草、丼の縁から差し込まれた海苔。スープから見え隠れするのは美しい曲線を描いた麺。家系ラーメンじゃないの、大好物よ。あの独特の豚骨臭をかがずとも、寒さで縮こまってたかに思えたお腹がぐうーっと鳴く。一瞬の逡巡の後、私は口をつけずにビールを置いた。

 もちろん、この寒いなかもう外へ出る気はない。かといって、私の求めてるラーメンは買い置きの袋麺で代用できるわけない。このラーメンへの欲望は不意に訪れ、しばしば深夜のラーメン屋へと誘うため油断ならない。喉は渇ききって今か今かとビールの刺激を待ち望んでいる。これ以上ないくらいに冷えたビールも、ぬるくさせるわけにはいかない。時間との勝負だ。

 まず、茶碗に卵を割ってひたひたに水をかぶせてレンジでチン。その間にネギを取り出し白髪ネギを作る。手で細く切ると時間がかかるから、白髪ねぎカッターなるアイテムで一気に細切りにしてしまう。さっと水にさらして、キッチンペーパーでよく水気をとる。そして、次に取り出したのは手作りの食べるラー油。買った物でもいいのだが、最近は花椒と胡椒と八角、ごま多め、フライドオニオンと粗みじんねぎがざくざくのを作るのがマイブーム。それを白髪ねぎにたっぷりかけて和える。そうすれば、辛味ねぎの完成。温玉のせで。油をまとった赤いねぎと、その上の黄色い黄身のなんて美味しそうなコントラスト。

 ついに、ほんのり汗をかいた缶ビールを掴み一気に流し込む。美味い。このために喉を干上がらせたといっても過言ではない。ビールの気泡が喉を通っていくのを感じながら、缶半分を一気に飲んだ。まだビールが胃の中でしゅわしゅわと発泡しているなと思いながら、箸の先をぷつりと黄身にさすと、熱が入って重めになった卵がゆっくりとねぎの上に広がり染み込んでいった。一口含めば、ねぎの強い香味とそれに負けないラー油の香味が鼻を抜けていく。舌を刺激する辛味は口の中で黄身と出会うとなんともまろやかになって味わいが増す。これは豆腐に乗せても美味しいのだが、今日は半分ほど食べたところで納豆を投下。最高だ。間違いない。納豆キムチも定番だが、納豆辛味ねぎもレギュラー入りだ。ここにチャーシューもあったらより良かったのだが、それはまた次回。

 テレビのラーメン特集を見ながら、ねぎを食べる。それでラーメン欲が満たされるのは、私がラーメンには必ずねぎトッピングをするからだろうか。ねぎラーメンがある店はそれだけで星3つあげたいくらい好きなのだ。


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