パン職人の修造63 江川と修造シリーズ バゲットジャンキー
このお話は2022年5月10日グロワールのHPに掲載したものです。
次の朝早く自転車に乗ってパンロンドについた修造は工場に入った時何かしらの異変を感じていた。
「なんだろう?何かおかしい」
すでに来ていた親方と藤岡と杉本が修造を取り囲んで「優勝おめでとう!」と口々に言ってくれた。
「ありがとうございます。あの、、店の色が変わってますよね?」
「そうなんだよ!こっち来て!」
親方は修造に店の中を見せた。
「あ!!!改装してる」
「凄いだろ?修造と江川がいない間に大急ぎでリフォームしたんだ。ずっと藤岡と一緒に計画を練って、業者に頼んだり話し合ったりしてたのさ、な!藤岡」
「はい、修造さんに内緒で動いてたんです。内装は僕も勉強してあれこれ考えました」
「全然わからなかったな、、、」
「お前を驚かそうと思ってな!それにほら見て修造」
親方は商店街の道路に面したガラスの所を指差した。
そこは出窓調になっていて何も置かれていない。
「ここにお前と江川のパンデコレを飾るんだ」
「えー!優勝しなかったらどうするつもりだったんですか?」
「どうもこうもねえよ。実際優勝したろうが」
と大声で笑い、入口の横のパン棚を太い腕で指した。
「ここはお前のドイツパンのスペースだ」
修造は親方の行動力にポカーンと口を開けながら感心していた。
「さ!もうすぐ新生パンロンドの開店だ!仕事に戻るぞ!」
「はい!」
その日は修造は親方と色々話し合ってドイツパンの種類を絞り込んだ。
商店街の人にも受け入れやすいドイツのパンか、、
パンロンドには自慢の山食『山の輝き』、『とろとろクリームパン』、『カレーパンロンド』その他人気の品が沢山ある。それと被らない様に構成を考えなきゃ。
修造はドイツで働いていたお店のヘフリンガーの人気のラインナップを思い出していた。
1番上の棚は※ロッゲンブロートとか※穀類を使ったメアコンブロート、ミッシュブロート、ラントブロートなどをずらりと。
2段目辺りはプレッツェルとカイザーゼンメル各種、ヘルンヒェン、オリーブバゲットなど。
3段目は※Schweineohr(豚の耳)やベルリナー、なんかの甘ーいパン。
その下は焼き菓子を置いて、冬になったらそこは山もりのシュトレンを置くか。。
午前中店内に満タンに作ったパンも夕方にはすっかり売り切れてまた明日の朝が来る。
東南商店街の道ゆく人達はパンデコレをガラスの向こうからシゲシゲ見て、写真を撮ったりしていたが、やがてそれは噂になりまた遠くからパンロンドのパンを買い求めにくる人が日々増えていく。
親方と奥さんは、シフト表をよくよく考えて書き、佐久山と梶沢、修造と江川、藤岡、杉本でローテーションで無理なく回していった。
ーーーー
次の休みの日
修造は一人でホルツに来ていた。
オレンジ色のトランクの男が渡してきたものを大木に見せた。
「この本とメモを書いた人について少しでも何かご存知なら教えて頂けませんか?」
「さあなあ」と言った後、大木はしばらく何か考えていたがやがて話しだした。
「修造、伝説の流れ職人って聞いたことあるか?」
「伝説の?いいえ」
「伝説のなんて大袈裟だし、少々盛ってると思うんだが」
「はい」
「昔山間部に住んでいて、造園を生業にしていた若者がいたんだ。そいつは客の意志を読み取るのか上手くて相手の望む通りの庭作りをする事ができた。その噂は広がって遠くまで呼ばれて庭の手入れに行ったりしていた。
ある日軽井沢に呼ばれて、金持ちの別荘の庭の手入れをしていた。その素晴らしい庭作りに客が喜んでお代以外にも礼をしようとそいつを懇意にしてる近所のフレンチレストランに連れて行った。
そこは剛気な性格のフランス帰りのシェフがやっている店で、食事が2品ほど出た時、シェフがテーブルに挨拶に来た。そして焼き立てのバゲットを持って来て包丁とまな板をテーブルに乗せパンをカットしだした。
「今窯から出たばかりだよ。このルヴァン種のバゲットは俺の自慢なんだ」
客に「美味いから食べてみなさい」と勧められてその造園業の若者はカットされたバゲットを口に入れた。
途端にルヴァンの風味と小麦の旨味が、クラストの歯応えとクラムの水分を含んだ食感が、そして窯の熱気を含んだエアが口に広がった。
大袈裟だが脳内で美味さが爆発したんだ。
出会ったことのない美味さに衝撃を受けてその場でシェフに弟子入りしたいと言い出した。シェフは驚いたが、男が自分の作ったバゲットを全部食っちまって本気で感動しているのが気になって、その男を弟子にしてやったんだ。
男には家庭があったんだが、突然パン職人になると言って、造園業を廃業して長野県に行ったまま帰らなくなった夫に愛想を尽かした奥さんは、男に離婚届を送りつけて実家に帰ったんだよ」
「ええ?随分衝動的な人ですね」
「お前だって突然ドイツに行きたいって言ったんだろう?」
「え?それは、まあ、あの、はい」
大木は笑いながら「人の事は言えないなあ」と言った。
「どうしても行かなきゃならなかったんだろう」
「あの、、俺ずっと不思議だったんです。大木シェフは俺たち部外者を弟子のようにして下さって色々教えて貰ってるのは何故なんですか?その伝説のなんとかと関係あるんですか?」
「運命ってのは不思議なもんだよ」
「運命?あのメモにもそんな事が書かれていました」
大木は思い出していた。
俺が若い頃、あいつとNNホテルのパン部門で働いていた。
佐久間と鳥井も一緒だった。
毎日が発見の連続で、俺はあいつに心酔したんだ。
江川を見てるとあの頃の俺を思い出す。
こんな日が永遠に続けばいいと思っていたが、あいつは職場を去った。
最後の日に俺にこう言った「これから若いものを育ててパン業界を盛り上げるのが俺たちの使命なんだ。約束だぞ」ってな。
その後俺と鳥井はドイツへ、佐久間はフランス。あいつは世界各地を回って何年も帰って来なかった。
おい!俺は約束を守ってるぞ。
急に、考え込んでいる修造に向かって大木が声を張った。
「これから色々大変だぞ!他の事は気にせずに江川と息を合わせて集中して練習しろ!優勝して貰わないとこうして教えてる意味がないだろ?わかったらどんなメニューにしたいのか考えて書いてこい!」
「はい」
帰りの電車で結局大木にはぐらかされたんだと思った。
「そいつその後どうなったんだ、、」
でも今日少しだけ分かった。
またそのバゲットジャンキーの事を少しずつ聞き出して点と線を繋げてやる!
修造は心の中で密かに決めていた。
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パンロンドに戻り、仕込み中の親方に「伝説の流れ職人って聞いた事ありますか?」と聞いた。
「ああ、そういえば昔そんな噂を聞いた事あるな、色んな店を渡り歩いてヘルプに入って従業員を牛耳って技術を教え込み、店の格が上がると噂になってあっちこっちで呼ばれてるとかなんとか。でもそれ、俺が修行時代の事だから15年以上前のことでさ、その後世界各地に呼ばれるようになって殆ど日本にはいないから連絡もつかないって話さ」
「へぇ〜」
「会ったことあんのか?」
「多分」
「多分?」
「その人の作るバゲットが美味いんですか?」
「そうだな、日本の色んな店で修行して回った後フランスに渡ってからは各国を回って帰ってこなくなったとか聞いたことあるよ。そこでも延々と修行したんじゃない?」
そうかオレンジ色の大きなトランクであちこち回ってるのか。
世界中を自由に。
旅の楽しさと、行った先で出会った世界のパン職人。
勿論苦労もあると思うけどずっと続けてるのは
それでも構わない程夢中になれる事があるんだろう。
うわ、ちょっと憧れちゃうなあ。
「その人パンの世界に没頭したんですね」
「そうだな、他のものを全て捨てても欲しいものがあったんだろな」
パンの製法も概念も時とともに変わりつつある。それを追い求めて広めたい。
修造はまた少し分かった気がした。
家に帰って本に挟んである2枚の紙を見た。
まるで俺が数奇で運命に流されるみたいじゃないか。
これが予言めいたものでないことを祈るよ。
いつかまたどこかで出会うだろう。
その時に聞いてみたいこの言葉の意味を
バゲットジャンキーに
おわり
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