パン職人の修造8 江川と修造シリーズ 新人の杉本君 Baker’s fight
一方、隣の裏庭では修造が缶コーヒーを杉本に渡していた。
「暴れたら喉が渇いたな。」
空き家のペンペン草が沢山生えた花壇を囲っているブロックに腰をおろして一緒に缶コーヒーを飲みながら「少し落ち着いたか?」と聞いた。
杉本は何も言わずに黙っていた。
修造は話し始めた。
「多くのパン屋が『何人かが狭い空間で働いてる』んだ。その全員がメインのシェフの意思通りに動かなきゃならないと俺は思ってる。勝手なことをすると全員に迷惑がかかるんだよ。今の作業の全ては、『こうなる事に理由があった』んだ。すぐに決まった訳じゃない。工場の中で起こった出来事や、お客さんの流れ、パン作りの工程、作業する人間の数、季節や温度、その全てが影響しているんだ」
「それはまだ入ったばかりのお前にはわからない事なんじゃないのか?」
杉本は黙って聞いていた。
修造の話す全てに説得力があった。
それは長い経験に裏打ちされた言葉だったからだ。
「それが嫌ならやめなきゃならない、ここから去って勝手に自分の思う店を作れよ」
「、、、店を?」そんな事できっこないのは杉本も分かっていた。
「でもな、それは多分お前にはまだ早いんだよ」
「今のお前は何も出来ないのに等しい、1人でやるとたちまち困るぞ。
だから、色んな先輩の中に混じって色んなことを教わるんだ」
修造は指折り数えながら言った。
「共同体感覚を養って」
「ベストコンディションで挑めば」
「満足のいくパフォーマンスを発揮できるんだ」
指を3本見せながら「だからみんな体調を整えてくるんだよ。遊びすぎて体調悪いなんてカッコ悪いぞ」
修造は隣に座って下を向いてる杉本の顔を覗き込みながら言った。
「今いてる従業員の殆どが、親方と一緒に作業の理由について体感してるやつばかりだよ。お前も俺たちと一緒にやろうよ。そして慣れたら親方に良い考えを提案して、受け入れられたらやりゃあいい」
修造は珍しく言葉多めに話し続けた。
「それでももっとやりたい事があるなら自分の店を持った時にああしようこうしょうと自分の中に貯金をしておけよ。その時に初めて花開く事が多いんじゃないのか?」
「花開く、、」
杉本は手のひらを見つめながら言った。
「俺、偉そうに言ってましたけど、ボクシングも中途半端で負けてばかりで辞めてしまったんです」
「そうなのか」
「はい、パン屋での作業を軽く見てて、ここなら全然いけるんじゃないかと。でもやってみたら手順も多いし覚えなきゃいけない事ばかりでした」
「うん」
「それで我流でやってみたんです」
「通用しなかったろ?」
「はい」
「今日それが分かっただけでも良かったよ」
「。。。俺もやり続けると花咲く事があるんですかね。」
杉本は初めて希望とか夢とかについて少しだけ考えてみた。
「この先のもっと先に夢がある」
「そうだ杉本、その間にはお前が覚えなくちゃいけない事が沢山あるだろう?」
「はい」
修造は泥のついた手を綺麗に洗い、洗ったタオルで杉本の服の汚れを拭き取って工場の扉を開けた。
「それがここには沢山あるんだ」
そこでは親方や職人達がテキパキとパン作りをしていた。
無駄な動きなく働いている。
「ここの全てを覚えるんだ。一つ一つな」
「それにはまず正しい丸めからだ。来いよ、俺が教えてやる」
「はい」
そうして2人は楽しそうに分割を始めた。
修造は杉本の手の速さに合わせて生地を分割して渡して行った。
そこには修造に教わった通りの丸めを忠実にこなそうとする杉本の姿があった。
その時裏の戸をドンドン!と叩く音が聞こえた。
「はい、どなた?」江川が戸を開けた。
するとやんちゃそうな少年が3人立っていた。
「裏口が分からなくて迷ったわ。杉本く~ん。先輩がつるされてるのはどこ?」と言って江川を押しのけた。
修造が「なんだお前ら」と言って前に出ようとしたら、いきなり3人のうちの1番背が高いのが修造の胸ぐらを掴んできた。
杉本は3人の友達を見てびっくりした。
遅いのでもう来ないんだろうと思っていたからだ。
「お前らやめろよ。もういいんだよ」と杉本が言ったが修造ともみ合いになっている3人には聞こえない。
そこへ親方が珍しく仕事の手を休め「君たちここは工場だから外へでようね」といって3人を掴み、分厚い大きな両手で押し出して倉庫に行った。
そして修造の胸ぐらを掴んだ少年の手首を持って全身をぶら下げた。ぶら下がった方は手や足で攻撃しようとしたが親方に届かない。蹴ろうと足を前に出す度に親方がゆらゆらさせたからだ。
親方は残りの2人に少年をぶつけ「パン屋の腕力なめんなよ!」と言った。
それを見た修造、杉本、江川は同時に叫んだ。
「い、いかつう~」
3人が帰ったあと江川は杉本と散らかった倉庫を片付けながら「ねぇ杉本君」と話しかけて来た。
「さっき修造さんから何を教わってたの?」
「はい、貯金の話です」
「貯金?」
「心の貯金」
「もーう!なんの事かちゃんと教えてよ〜」
江川は悔しがった。
なにかかけがえのないものを手に入れた気がして
杉本の心はワクワクしていた。
「親方、すみませんでした。俺まだここで働いてもいいですか?」
杉本は親方に頭を下げ。
親方はクリームパンを包みながら「はい、がんばろうね~」と言った。
内緒だが。。修造はしばらくの間、杉本のパンチを受けた左手がめっちゃ痛かったと言う。
おわり
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