パン職人の修造33 江川と修造シリーズ六本の紐 braided practice 江川
そのうちに大木シェフが奥の事務所らしい所から現れ、皆素早く元の持ち場に戻って行った。
「2人ともよく来たな」
「さあ、じゃあ早速練習場と言うかパンの学び小屋と言うか、別室があるから行こうか」大木はその別室を指さした。
「更衣室を案内するから着替えたら来てくれよ」
「はい」
その別室は工場の奥の廊下から繋がっていてガラス戸や窓からから中の様子が見える。
白い壁の小さな建物の下半分がアルミ、上半分がガラスの扉を横にスライドさせて中に入ると、中には製パンに必要な一式が揃っている。
「ここは向こうの工場で作りきれない別注のパンを焼いたりするところなんだよ」
パンロンドしか知らない江川は何もかもが珍しくてキョロキョロした。
パンロンドでは親方が開店当時大枚をはたいてフランスから取り寄せた5段窯とミキサーを使っているが、ここでは国産の最新鋭の機械が揃っている。
「カッコいい」
憧れ半分、緊張がその半分、残りは修造がいる安心感。
今日は生地の仕込みを見せて貰い二人とも別々に仕込みをして、バゲットを焼くところまで練習する。
規定の同じ重さ同じ長さに成形できるか、カットした断面は美しく気泡ができているかなど。
職人達はかわるがわる修造の成形を見ていた。
焼きあがりはどんなものかも見てみたい。
みな工場に戻っては、修造の作業について理想的だとか他のやり方とは違うとか口々に言い合ったが最終的にはあの人は凄いと言うことに落ち着いた。
一方の江川は初めて通しでやってみたので中々上手くは行かない。
一つ一つの工程を大木にアドバイスを受けながらやってみたが、まず長さがバラバラで内層も気泡が大きなところと目が詰まったところがあり、外観は少しいびつだった。
それを見た職人の何人かはまだまだこれから上手くなるんだねとか、お前より下手だとか上手いとか揶揄する者もいた。
大木は江川に「まだ9ヶ月あるからこれからだな」と言ってくれた。
「今日はありがとうございました」と言って次回の約束を取り付けて工場の人達に帰りますと挨拶した時、何人かは修造にしか挨拶しない事に江川は気がついていた。
帰りの電車の中で「みんな僕が下手くそだから見切ったのかな」
と思っていた時、修造に「今日は通しでやってみてどうだった?」と聞かれた「はい、凄い勉強になりました。家に帰って大木シェフの言葉を思い出してノートに書いて復習します」
「おっ!やる気あるじゃないか」
「えへへ」
江川は東南駅の階段を降りながら「修造さんってすごい人なんですね。みんなの尊敬の眼差しがすごかったです」と言った。
「そんなことないよ、みんな物珍しがってるだけだよ」
「僕も修造さん目指して頑張ります」
「そうだな、一緒に頑張ろう」
「はい」
「じゃあまた明日」と言って東南駅の前で別れた。
帰ってからノートを書いて江川はちょっと不安になった。
今日全然ダメだったな、シェフの言うことは理解出来たけど選考会もレベルが高そうだし、勢いで出ますとか言っちゃったけど大丈夫かな?
いや、修造さんがいるから大丈夫だよね。
ホルツの職人の何人かが自分に向けた厳しい目を思い出す。
「今度行った時も修造さんから離れないようにしよう」
次の練習の日、駅前で待ち合わせしていると修造が自転車で来た。
「おはようございます修造さん」
「あのさ、江川。親方から連絡があって佐久山さんが具合悪いから代わってくれって連絡あったんだよ。悪いけどこのまま一人で行ってくれる?」
「え!僕一人で行くんですか?」
「そうなんだよ。頑張れよ」と言って修造はそのままパンロンドに行ってしまった。
江川はとりあえず電車に乗った。
「どうしよう、不安しかないや。僕無事に帰れるかな」
今日は大木シェフから離れないでおこう。
電車に揺られながら江川は自分の無事を祈った。
ベッカライホルツには工場に従業員が8人いた。
行列のできる人気店で絶え間なくお客さんがやってきて次々と飛ぶようにパンが売れて行く。
8人が必死になってパンを作ってもまだ足りないぐらいだ。
「江川さんこんにちは」何人かの気の良さそうな職人が挨拶してくれた。
「こんにちは」
名札に北山と書いてある江川と同じ歳ぐらいの職人が「あの、実は今日大木シェフは急な会議が入っていらっしゃないんです」と教えてくれた。
「えっそうなんですか?じゃあ僕帰ります」と言って帰ろうと半分踵(きびす)を返そうとした江川の肩を、名札に鷲羽(わしゅう)と書いてある一人の職人が掴んで「まあせっかく来たんだし、僕達と一緒にパンを作りましょうよ」と言って更衣室に江川をほり込んだ。
「着替えたら出てきてくださいね」と言ってドアの前で待っている。
「逃げられないようにしてるのかな」江川は怖くなった。
つづく
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