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いかようにも

15歳の頃

当時通っていた
塾の主催者である先生から

「君は色がないから、
なにかの色を持ちなさい」

そう言われました

あれから30年以上経って

様々な経験をして
何がしかのはっきりした
色が着いたと

そう思っていたのですが

昨年、とくに洗濯や掃除を日々続けて

改めて我が身を顧みると

私は相変わらず色がないように思える

むしろ、あの頃より
透明度は増しているのかもしれない

そう感じるのです

ただ、それは決して
「けがれのない」状態という
わけではなく

そこにある
なにがしかの色を纏いつつ

埃も寄せるし
それをきれいに流しもし

あたたかくもつめたくも
ぬるくも

ときには凝固し霧散し
そのものは掴めず

そこにあることの氣配に
ふとした瞬間に驚きをあたえる

なので

人としては相応に歳を重ねて
相応の見た目であるとしても

その「組成」は大きく
変わらない

そして同時に
常に大きく変化している

なにと
響き合っているかに応じる

そのものに相変わらず色はない
だから何色でも透過できる

今年はどんな色たちと出会い
それらを還元していくのか

年の頭にそのようなことを
ふと想うのです

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