地域医療を経験することは国際保健の仕事をするにあたって役立つのか?

日本国内で域医療に従事することと国際保健は、しばしば抱き合わせで語られる。国際保健をやりたいのであれば日本国内の生活困窮者やへき地にも目を向けるべきだ、という議論も耳にする。確かにそうだと同意する一方で、それって僻地の労働力確保のためのお題目なんじゃないの?という反論も聞こえる。こうした議論の背景には、地域医療の経験がどう国際保健に役立つのか、具体的に語られたことが少なかったという問題があると思う。その両方を経験した身として、私見ではあるがメリット・デメリットについて考察したい。


地域医療を経験するメリット

1. 文脈を尊重した意思決定ができる

地域医療に従事していると、人は多様であると思い知る。医学的妥当性だけではなく患者の価値観や家族・社会経済的背景なども加味した判断をする。質的情報(解釈・経験など)の取り扱いに慣れる。これは国際社会が勝手に決めた画一的な開発援助を押し付けるのではなく、その国その地域の文化や価値観を尊重した開発援助とは何かを考えること似ているかもしれない。

2. 多様なステークホルダーと調整できる

多職種連携という言葉があるように、同じ地域で働いている医療機関、訪問看護ステーション、薬局、介護事業所、役場などが経営母体が異なっていても、なるべく対等な立場で公式・非公式な協力関係を築いていく。開発援助の業界でも政府、各国際機関、各国の援助機関、NGO、住民など多くのステークホルダー間の調整に、膨大な労力を費やしている(それでも齟齬は生じる)。一方で病院は上意下達の命令系統で動く組織であり、マネジメント・スタイルが異なると思う。

3. リソースが有限であることを受け入れることができる

へき地で診療していると、その医療機関が有するヒト・モノ・カネによって提供できる医療サービスの水準・量が制限されてしまうことに気づく。一方で臨床研修指定病院になるような三次医療機関は資金・資源・人材は比較的潤沢にあるので、資源を気にすることなくベストな診療をすることに集中しやすい。

4. 治療だけでなく予防や福祉・介護を含む保健医療のバリューチェーン全体を俯瞰できる

スクリーニングして疾患をみつけたら、多くの患者は治療を望むだろう。一方で途上国では、疾患を適切に治療するに足る十分な質の医療が担保されていないことが多い。疾患がみつかっても治療するすべがなかったら、不幸な患者を増やしているだけに過ぎない。しかし縦割りで細分化された国際保健の業界では、専門家が自らのアジェンダだけを推し進めて、他の問題は知らぬ存ぜぬというケースが散見される。地域医療の経験は、全体を見渡すのに役立ち、専門バカになるのを防いでくれるかもしれない。

5. よそ者としての地域との関わり方に配慮できる

地域医療研修では、自分が住んだことがなかった地域でしばしば研修する。いつかその地域を去る可能性もそれなりに高い。よそ者としてどのように地域に関わっていくかは、数年単位で国を替えて仕事をするような国際協力専門家と働き方が似ているのかもしれない。もちろんその国・地域に根を張るという生き方もあるが…

地域医療を経験するデメリット

逆に日本国内での地域医療の経験が役に立たない点はなんだろう?

1. 疾病構造や人口構造が異なる

日本のへき地診療所で働いていると、当然だがAIDSや寄生虫を診療する機会は限られる一方で、NCDや高齢者に対する統合ケアは日常的に従事する。低中所得ではNCDが増えているとはいえ、まだまだ感染症や母子保健が主な健康課題である国も多い。そんな国々のプライマリケアを強化するとなると、日本でプライマリケアを経験するよりも、感染症専門医になった方が役立つだろう。

2. 先進国のへき地や貧困地区などで働いても、途上国経験の替わりとして「職歴上」は認められない

もちろんresource limited settingで働くことで得られるものは大きい。しかし、この業界には「途上国で最低2年間働いたこと」を入学条件としている修士課程や、「途上国で○○年以上働いていた経験がある」ことを応募条件にしている求人が多くある。つまり日本国内で下積みを長く積めば積むほどキャリア要件をいつまでも満たせず、逆に国際保健から遠ざかってしまうというパラドックスに陥ってしまう。これは日本のような先進国出身の医療者の不利な点の1つだ。もちろん人生何歳で何を始めてもいいのだけれど、若者にしか与えられないチャンスが世の中には存在することは、頭に片隅に留めておいたほうがよい。

3. 専門性を構築することへの認識が甘くなる

地域医療や家庭医療に従事していると「我々はジェネラリストである」というアイデンティティを持つ。様々な健康問題に対応するために幅広く知識・技術を身につけ、できることを伸ばすよりもできないことを減らし、自分がやりたいことよりも患者・地域に期待されていることを優先する。こうした考え方はとても大事なのだが、国際保健業界で働くとなるとマインドセットの切り替えが求められそうだ。国際保健業界は縦割りで、高度に専門分化されている。労働市場で求められるのは特定の分野の専門家である。何でもほどほどにできる人材など求められない。この傾向は疾患別のvertical programmeだけでなく、horizontal approachと言われている保健システムの求人でも同様である。

↑のような主張をすると、家庭医療「専門医」はプライマリケアの専門家である、と反論されることがある。確かに一理ある。Integrated person-centred careの専門家として自らを定義し、売り込むという戦略はありかもしれない。まぁNCD対策すらままならない低中所得で、人中心ケアの重要性を指摘してもlow priorityだと認識されがちである感はあるが…。

4. プライマリケアとPHCは異なる

私もうまく説明できるか自信がないのだが、アルマ・アタ宣言に端を発するプライマリ・ヘルス・ケアと欧米先進国でプライマリケアから発展した家庭医療学は、結果としてその哲学が似ているのだが、成り立ちや思想的背景が異なるのだ。例えば前者は健康は人権であるという点や、受益者たる住民の主体的参画(=医療とは専門職から一方的に与えられるものではない)が強調されている。つまり医療職が企画・主導するcommunity-oriented careと住民自身が企画・主導するcommunity-based careは異なるのだ。

だからどうという訳ではないのだが、PHCの専門家を名乗るのであれば、↑のような歴史的背景の違いについて、自分なりに理解・咀嚼することは大事だと思う。

総括

以上を俯瞰してみると、地域医療の経験で役立つのはソフトスキルの向上なのだと思う。逆に国際保健の仕事に直結するようなハードスキルは実はあまり身につかないのかもしれない。地域医療を経験することにメリットがあることは明白だと思う。しかしデメリットもあるし必須な経験であるとまでは言い切れない、と個人的には思う。国際保健を志す若手医療者向けに、地域医療を短期研修できるようなフェローシップでもあれば良いのにと思う。

もし記事の内容が役に立ったと思ったら↓ボタンをポチッとお願いします!