コードネーム:エンジェル@大統領の義理の息子外交官アシュラフ。1973年第4次中東戦争→第一次石油危機

・1967年Summer of Love

エジプト大統領ナセルがイスラエルと戦争
→が、わずか6日間でイスラエルが勝利

1967年シナイ半島、ゴラン高原、6月10日占領される。
●1970年ナセル大統領&サダト副大統領!
外交官アシュラフは、ナセルの政策「アメリカ憎し」に反対。アメリカと協調するしかない。イスラエルとの仲介に向けて。ソ連とは手を切るべきだ。
ソ連&エジプト vs イスラエル&アメリカ
🌟アシュラフが、イスラエル大使館に電話!!!

🌟1970年9月ナセル死去
→サダト大統領に!!!
※サダトは、アメリカと手を組むべきだという考え!!
1971年ロンドン在住のアシュラフ!(大統領の秘書官)
→イスラエルから接触が。
●モサド捜査官と接触
→狙いは?
→資料を渡す
※アシュラフはその現場写真を写真に撮らせていた
●モサド長官:ズヴィ・ザミール
@テルアビブ
→初回:エジプトが奇襲すると伝える
→が、侵攻せず。
●アシュラフが、リビアのカダフィ大佐と会う
→石油支援を取り付けるため
※ただし、もし、アメリカと組めば、石油の価格を2倍にすると言われる。
🌟サダトにも気づかれる
→「ナセルの義理の息子が?あり得ないだろ。証拠が必要だ。」

●1971年エジプト・アラブ共和国!!
1971年アサド父が、シリア大統領に。
🌟1972年テルアビブ空港乱射事件
●1973年ローマにて。
→光岡自動車の車!!!
エジプト行きの便を、アシュラフが提供した武器で、モサドが、撃墜!!!!??
リビアからエジプト行きの便を、イスラエルが撃墜??
🌟🌟🌟
順序が逆だった!!
①リビアからエジプト行きの便をイスラエル空軍が撃墜
②カダフィ激怒
③ローマからイスラエル行きの便を、カダフィの部下、「黒い9月」が撃墜する計画
→アラブ諸国の総意である計画として、カダフィにエジプトが協力する振りをする。
→アシュラフが、彼らに、壊れたロケットランチャーを渡す。
→その現場をイタリア警察と連携して捕まえる。
1973年
→アシュラフは、大勢のイスラエル人を救ったことに
→モサドに連絡
ヨムキプール!!!!!
にエジプトが進軍する!
🌟再びモサド。
→サダトがシリアと組んで、イスラエルを挟み撃ちにする!
→両国の戦争を止めるため!

●●●●
時を戻して、
「イスラエルも負ければ、和平に合意する」「勝つには奇襲しかない」
「オオカミ少年作戦です」彼らの前で軍を配備し、何もしない。1ヶ月後、再び演習。
そして何もしない。餌をやり、騙して、攻撃すればいい。はったりを繰り返す。
→そして、相手が油断した時に、最後の最後に、全力で!
→ヨム・キプール!!!に!!

サダト大統領の時代
・イスラエルのバックにはアメリカ
・ソ連を頼ろうとするとエジプトに対して、ナセルの娘婿アシュラフ・マルワンはアメリカとの同盟を提案して嫌われる
・アシュラフ・マルワンはエジプト外交官。イスラエルのスパイになった人物。
・1970年ナセル死去
・サダト大統領就任
・イスラエルのモサド捜査官
・イスラエルのテルアビブ
・オオカミ少年作戦
・アシュラフ・マルワンは1回目、2回目、嘘の情報。3回目に本当の情報(戦争開始の合図)
・3回目エジプトシリア軍の攻め
・その結果、奇襲作戦を受けたイスラエルは、1979年エジプトイスラエル平和条約(カーター米大統領)を結ぶ
しかしPLOは反対。アラブ諸国からエジプトは嫌われる。よって、エジプトはアラブ同盟脱退
・やがて、イスラエルヨルダン平和条約
・ナセルの義息アシュラフマルワンは事故死
・リビアのカダフィ大佐とも親交あり。リビアには女性兵士がいる@トリポリ

🌟1981年サダト大統領、暗殺
→ムバラクに。

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