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アメリカで出会った ぐるるな仲間たち 第4回

By やよい
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いまから30年以上も前のアメリカで、職業訓練校のESLに通った私は、世界各国から移民や難民としてやってきたクラスメイトたちと出会い、それぞれの背景をうかがい知ることになりました。あくまでも自己申告ではありますが。

小さな教室で、少しだけ世界を知る②

 アメリカでは移民の女性がまず就く仕事の一つが家政婦だそうで、ジョージによると当時はポーランド出身の家政婦が増えてきたとのこと。ポーランドでは共産党政権の支配が終わって少したったころで、夢や希望を抱いてアメリカに来る若い人が多かったのかもしれません。
 アーティスト志望のヤンの家計もパートナーが家政婦をして支えているようでした。透き通るように色白で繊細な雰囲気をまとった人で、「彼は気が向いたら来る」とジョージが言うように授業を休みがち。けれども英語はかなり堪能で「僕はビートルズで英語を覚えた。お勧めだよ」と教えてくれました。ランチタイムに、私のお弁当に入っている梅干しを「いつも入っているそれ何?きれいだね。食べてみたい」と興味津々。「酸っぱいよ」と忠告しましたが一粒丸ごと口に入れてしまい、いつもクールなヤンが動転してなんともいえない表情を見せました。私が帰国するころにはほとんど学校に来なくなっていましたが、アーティストの道を歩んでいてほしいと願います。

「アマテラス(すべてを照らす)」 ©️Flourish fumiko

 中国から来たルーシーはいつも静かに微笑ほほえんでいる控えめな人でした。同じアジア人という親近感もあって仲よくなり、ときどき筆談を交えながらおしゃべりを楽しみました。ある日クラスで宗教が話題になり順番に信仰を答えているとき、隣にいた彼女が「英語で何て言うかわからない」と困っていたので「書いてみて」というと「孔子」と記しました。儒教のことかな?と思いつつ「ああ、孔子ね。知ってる」「わかる?」「もちろん。日本でも有名だよ」と二人で話していたところに韓国人のヨナも「私も知ってる!」と仲間に加わりました。けれども、英語風に発音したり、論語の一節を紹介したりと三人で頑張りましたがほかの人には伝わらず、帰宅して辞書を引いて、英語圏ではラテン語由来の「Confucius」という名で哲学者としてよく知られていることがわかりました。
 またある日のこと、私が中華料理店でよく店員に中国人かと聞かれるので「中国人に見える?」と聞くと、「それは、中国人なら料金を安くしてくれるのよ。今度から『そうだ』と答えるといいよ」と教えてくれました。「でも私、中国語は『私は日本人です』くらいしか話せない」「じゃあダメかも」と笑い合ったことも思い出します。

 仲よくなってしばらくたったころ、子ども時代に体験した文化大革命のことを話してくれました。近所に住む女性がなにかの罪で引きずり出されてみんなの前で半分だけ頭をられ、半分だけ長い髪がある姿で泣いていたのが忘れられないと。「誰も信用しない、何も言わない、考えない」。それが生きるすべだと親から教わったと話すルーシーの、いつもと変わらない穏やかな口調に胸が苦しくなりましたが、返す言葉が見つからず彼女の目を見つめることしかできませんでした。

第5回につづく


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