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スーダンと南スーダン

イギリス統治の影響
もともと South Sudan(南スーダン) は Sudan(スーダン) の一部で、イギリスとエジプトの支配下にあったんですね。で、この統治が今にも影響しているんです。

今の Sudan(スーダン) のある北側はイスラム教徒やアラブ民族が主に住んでいて、今の South Sudan(南スーダン) のある南側はキリスト教徒や様々な民族が主に住んでいるのですが、イギリスはこの二つの地域を違うように統治したんです。

イギリスは北側地域を優遇し、経済や政治の発展、教育や医療機関の整備などは北側地域で主に発展していきます。イスラム教の信仰やアラブの民族性も重んじられていました。

これに対して南側地域では、間接的な統治が行われ、各民族のリーダーにその民族内の統治をまかしたんです。その結果、南側地域には様々な民族が共存しているため、民族間での違いがはっきりしてくるわけですね。

国全体の政治権力はイギリスが握っていたものの、こうした国内の地域による統治の違いが、文化や価値観の違いといったものにつながるわけです。

独立後
1956年に イギリスとエジプトの支配がおわり、Sudan が独立国家となるのですが、北側地域と南側地域の差が内戦を生むんです。 北側地域は Sudan 政府として国の統治権力を握っていて、南側地域は反政府勢力として抵抗したんですね。

当初は非暴力的なプロテストなどにより軍事政権を交代させるといった感じだったのですが、Omar al-Bashir という人が 1989年に軍事統治を始め、2003年にあったDarfur という地域での紛争では、非人道的な民族虐殺などが行われたため、国際機関も Sudan(スーダン)での内戦に警告をするようになるんですね。

こうした内戦の結果、2011年に南側地域が South Sudan(南スーダン) として独立を勝ち取るわけです。

国の分裂後
しかし、新しくできたSouth Sudan(南スーダン)で安定した政治や経済体制が整っているわけではなく、石油の輸出に依存した経済も、石油の価格の下落により貧困に苦しむわけです。こうした状況から、国内での権力闘争が今もなお続いているんです。

スーダンでなにがおきているの?
Omar al-Bashir という人が 1989年から軍事統治を始め、2003年にあったDarfur という地域での紛争では、非人道的な民族虐殺などが行われたのが Sudan(スーダン) です。

内戦における非人道的行為に対する海外からの経済制裁や石油産出地域であった南スーダンの独立による石油収入の減少などで、Sudan(スーダン)の経済はガタガタだったわけですが、2018年にOmar al-Bashir政権が国民への手当を減らしていくことで経費削減をはかったところ、2019年に 反Omar al-Bashir政権を訴える大規模なプロテストがおきます。

2019年に Omar al-Bashir は失脚して逮捕され、軍事政権とプロテストをおこした市民による勢力があとをついだんですね。

新しい政治のはじまり
権力の集中を避けるために、大統領と首相が両方ともいる政治体制をとっている国は結構あるのですが、Sudan(スーダン)もそのうちの一つで、Omar al-Bashir元大統領のうらでの影響力をなくすために Abdalla Hamdok という人が新たな首相に選ばれます。

Sudan(スーダン) では、Abdalla Hamdok 首相と軍部、市民のあいだで安定した国家体制を築こうと奮闘しているのですが、Darfur という地域での紛争をふくめ、今だに混乱状況が続いているのです。

参考:Al Jazeera, BBC News, Vox, NPR, The Economist, CGTN Africa, TRT World, DW News, The New York Times

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