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ルワンダとジェノサイド

独立後

1962年に Belgium(ベルギー)の植民地支配から独立した Rwanda(ルワンダ)は、Hutu という民族が多くいる国で、Tutsi とよばれる他の民族などが共存しています。両民族ともに同じ言語を話し、キリスト教を信じてきたのですが、生計の立て方は違っていました。

Hutu民族はおもに農業で生計を立てていて、
Tutsi民族はおもに家畜で生計を立てていたんですね。

家畜の方が農業よりも商品価値を高くつけられるので、家畜を行っていた Tutsi民族の経済的地位が高くなっていき、少数派の Tutsi民族が国内のエリートとして政治を行うようになります。

こういった背景から Hutu民族にとっては、植民地支配と Tutsi民族による統治が重なり合ってくるんですね。

植民地支配が終わった後も Rwanda(ルワンダ)の国政では少数派の Tutsi民族による統治体制が出来上がっていたので、多数派である Hutu民族は政治における権力をなかなか得られなかったわけです。

紛争に発展

この葛藤をかかえた Hutu民族は1994年に Tutsi民族への攻撃にでて政権を奪ったために、Tutsi民族は Uganda(ウガンダ)などの隣国へと逃げていきます。

しかし、この難民として隣国に逃げ込んだ Tutsi民族が今度は Hutu民族への反撃に出て、隣国を巻き込んで戦争になったわけです。

今では民族の区別などの規制や民主的な政治体制を築いていくための仕組みづくりが行われていて、民族大虐殺といった悲劇を繰り返さないように取り組まれています。

参考: The Guardian, Vox, BBC News

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