死は前からは来ない
吉田兼好の言葉に『死は前よりしもきたらず、かねて後ろに迫りけり』というのがあります。
日々の生活に追われるように生きていると、ある日突然背後から肩を叩かれ「命がつきる」。
人は身近な人の死をもって初めて『死』にリアリティを感じます。特に一緒に暮らしている家族の死をもって「生」の意味を考えるようになるものです。己の命だって実はいつ終日を迎えるのか分からないと考えれば、気が付いた瞬間、命に「生」を持たせること、それを真剣する必要があるのではないでしょうか?
日本の近代教育は、高等教育を「生活の糧」を得るために行っている傾向が強く、より良い生活をするために、学校を卒業するとすぐに「就職」をすることを求め、日々努力をして働くことを求めます。さらに、多くの人が
自分でもそれが正しいと思い込み「日々の努力をしている自分の姿」に価値を感じます。永遠の命があるかのように何も考えずにです。
働くことで人は多くを学び、人に、未来に、貢献しているものですが、それは「あなた」の『生』が行うべきものなのかを考えることも、ある程度の年齢になったら大切だと思います。
《人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり》
この命にはどんな『生』を与えたいのか?
人それぞれですが、自分に《自由》を与えてみるとあなたの『生』が求めるものが見えてくるような気がします。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
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