高品質・高付加価値の呪縛
大手メーカに勤めていた頃、よく営業と一緒にカタログを持ってお客様のところで仕様の説明をしました。
大メーカのカタログです。それはそれは子細なところまで良くできていましたが、その中で約1/3を占めていたのが機能名称の表です。私もすべての機能を覚えることも出来ず「なんで使いもしない機能を開発するのだろう?」
と心の中で思っていたものです。
また、お客様も大企業の総務部の人ですから、私の話など理解する必要性などなく、単に購買担当だからということで、ほぼ聞き流していたように見えました。
でも、お客様も複数のメーカから見積を取らなくてはならず、比較検討をしないと社内で報告ができません。そこで、何をするのかというと各社のカタログを並べて、「ある機能」と「ない機能」をリストアップして、ある機能数の多い方を選ぶと言った、方法を使っていました。
正直、意味のない比較です。だって、実際に使う現場の人は、そんな機能があること自体知らないのですから...。
どうも「高品質・高付加価値」という呪縛に、メーカ側も、お客側も陥っているように感じます。
さらにサービスを提供する側が「高品質・高付加価値」に拘ると、大切な「お客様視点」を失うことになってしまいます。なぜなら「高品質・高付加価値」という《表現》自体が、提供側の言葉だからです。
お客様にとっての「魅力ある製品」、「魅力あるサービス」という視点で開発を行わないと、結果的に不毛な「機能表比較」や「価格比較」に陥ってしまいます。
そして、お客様の熱が冷める。
お客様にとって、気に掛かって、気に掛かって仕方ない、といった製品やサービスを作れるかどうか?提供側は「魅力づくり」に勤しまなくてはいけません。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
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