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『エゴイスト』 ニューヨークアジアンフィルムフェスティバル上映:備忘録

NYの7月15日(土)夜、映画『エゴイスト』、New York Asian Film Festival(ニューヨーク アジアン フィルム フェスティバル)で上映。また、本映画の主演 鈴木亮平さんが、ライジングスター アジア アワードを受賞された。

今年の初旬、この映画の公開情報からとても気になっていた。6月末にNYで上映されることを知り、その後すぐに原作を読んで迎えた昨日のスクリーニング。

今回、記事にする立場を持って現場に向かった為か、良い意味で冷静に客観的に、平静な気持ちで観ることができた。また、Q&Aでの監督・演者からのメッセージにも、余計な感情のフィルターをかけることなく、受け取れたのではないかと思っている。

丁寧に神経を使って選ばれた表現で発された映画を始め、言葉のメッセージ。それを受け取った側、一人一人りに求められるのは、瞬発的かつ悪意なく無邪気に、一考することなく発せられる、いわゆる日常的には大いにあり、だからこそスルーしてもらえる言葉や事柄が、実は鋭い剣になってある人や事柄を傷つけたり、侮辱することになるという事実があるのかもしれないと、気づくことなのではないかと思っています。

筋肉反射のような軽口ではなく、一旦飲み込み、それぞれの脳というフィルターを通して「ねぇ、本当にそう?」と一言自分に確認してから、責任を持って外に言葉を発したって、発言に手遅れなんてことはない。それに、その一瞬を費やすこと自体が誠意であり優しさであると改めて強く意識した。そして、それは他者への誠意や優しさということだけでなく、何よりも自分への誠意と優しさかなとも思うのです。もしかしたらエゴイスティックかもしれない。だけどそれでいい。監督の松永大司さんが上映後に語った「エゴイスト」という言葉の意味は、そこにあるよねと。

私がNYで留学生だった頃に恩師からもらった言葉「難しい事柄は炭酸水のようなもの。そこに変化を加える時には、静かにゆっくり注ぎながら注意深くかき混ぜるんです。そうすれば、慌ててこぼすことも、突然泡が発生して溢れてしまうこともない。」が、特に今の時代に、何かを書く作業をしているとき、私の指針として毎回蘇ってくる。

そして「物書き」の顔も持つ私ではあるけれど、まだまだ理解すべきことが沢山あり、それを書くためのより多くの言語表現を持ちたいと望むきっかけになる、今回のような作品や事象に遭遇することは、自らの未熟さを見せつけられてショックを受けると同時に、それ以上に、たとえ小さくても自分の立場を通してできることを知る喜び多きことだと感じている。

今日は日曜日、外は雨。記事にするために昨晩の余韻をじっくり味わいつつ、推敲するには何てふさわしい。大事なことは、言葉を間違わないように、同時に、どの言葉であればより伝えられるのか、この熱が冷めない時間ギリギリまで使って考えたい。

まずは備忘録。

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