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人生の岐路、のつづき

某月某日、先週お話しした、人生の岐路に立った相談者から、その岐路の両方の良いとこ取りができた結論を得られたとの報告を受けた。この件のせいで、先週、150回くらいつぶやいた「マジかぁ」を返して欲しいと思う。

一方で、自分にとって良いとこ取りした結論は、パートナーにとって良い結論であるとは限らない。それでもついていくパートナーってすごいよな、と思う。自分だったらどうなのだろうと考えてしまう。あるいは、彼らは結婚していて、子持ちなので、その辺りも考慮に入るのかもしれない。「子はかすがい」とはよく言ったものだ。

僕は、かすがいではなく、共に生きる相手と子供を育てたいとは思うけれど。だんだんそういうことを大きい声で言えなくなった年齢、立場になりつつあるのはさびしいけれど。

ここ10年ほど、ことあるたびに、僕は優しすぎるとか、甘やかしすぎるとかいうお叱りを受けるが、適切な距離感を感じながら、相手のプラスになること、相手を尊重することを選択した結果のようにも思える。こんな評価もある一方で、追加の感情を持つと、適切な距離感がうまく保てずにバランスを崩すことも多いことは自覚している。

自分を頼ってくれる人とは、やはり友人関係がうまくいく。1年に1回だろうとなんだろうと。僕ができることはできる範囲でやりたいと思う。見方によれば、それは寂しいことなのかもしれないが、それでもまぁ良いかなと思っている。ただし、ごく一部の尊敬している相手を除き、自分に対して不必要にネガティブな感情を抱く相手には優しくしないし、甘やかさない。聞いてしまった陰口はちゃんと覚えている。

バランスを崩して大切にしたい友人を失った過去もあったなぁとも思う。それは友人に異性が多かったからかもしれないが。

うーん、友人ってどのくらいいるのかな、と思う。数えると今や20人くらいかもしれない。友人の定義にもよるのだけれど。日本に戻れば友人と呼べる関係に戻る人たちもいるだろう。ただ会うだけではなく、心のどこかで化学反応を起こすような、あるいは、何も考えずバカなことができるような(これも化学反応だと思う)。そんな関係。

今は、リアルで会うことが少ないので、友人の1つ1つの言葉などを反芻しているような気もする。僕のオープンな(?)性格も手伝って、切れ味の良い指摘を受けることも多い。そんなものを覚えている。

人生の岐路の話だったはずなのだが、なんだかとりとめのない友人の話になってしまった。

もうすぐ冬がやってくる。

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