見出し画像

私立VRC学園5期によせて -Side.T-

私立VRC学園5期お疲れ様でした。5期生の皆様はご卒業おめでとうございます。このnoteは私が行った授業「アバターから考える、VRChatでよりよく暮らす方法」のこぼれ話から始まるちょっとした諸々です。

授業概要

読み飛ばしたい人向けのまとめ:

画像2

画像3

授業名:アバターから考える、VRChatでよりよく暮らす方法

VRChatでは誰もが使うことになるアバター。姿形も多種多様で、改変をすることまで考えれば全く同じアバターはないに等しいでしょう。
この授業は、アバターにまつわる自己表現についてを主軸に、文化にも触れつつ話を進めます(改変技術的な話は出ません)。
アバターが自他に与える影響や気にしておきたいことなどについて、長時間連続VR体験の経験を交えながら解説していきます。

今回は「交流」「表現」レイヤーに焦点を当てて話します。「技術」レイヤーについて知りたい人は学園なら5期めちゃさんの選択講義「人型アバター はじめてのヒント」や過去期のCliveさんの必修講義「怖くないモデリング」などが近いと思います。私も少しはお話できるので、VRCUnity勉強会もよろしくお願いします(ダイマ)。

さて、クラスメイトだけでも様々なアバターを使っています。それぞれ色使いや身長、アイテムなどにこだわりを感じる部分も多いですね。私が主張したいのは、「良い」姿であれ、「良い」アバターを使えということ。良いアバターはいい経験を生み、良い経験はVRC生活をより楽しいものにします。では、「良い」アバターとはどのようなものなのでしょうか。

例えば、同じアバターを使って長時間過ごしたとしましょう。自分に合わないと感じるアバターを使い続けることはストレスが大きく、逆に自分に合うと感じるアバター(それがいつも使っているアバターと違っても)を使い続けることはストレスどころか心地よさすら感じさせます。つまり、自分に合うと感じるアバターは「良い」アバターと言えるでしょう。

例えば、Boothの3Dモデル検索で人気順上位にはVRCでよく見かけるアバターが数多く並んでいます。これは、購入数やスキ!数から人気順が作られているので、多くの人が興味を持ったアバターが上位に来ることになっています。VRC内でも、同じアバター同士で集まったり、アバター毎に集会が開かれたり、統一アバターアイドルグループも数多く生まれています。これら、同じようなアバターを使うということは同じように価値を感じ購入しているということになります。つまり、皆に価値を認められているアバターは「良い」アバターと言えるでしょう。

ここで挙げた以外にも様々な「良い」があります。フルトラ適正が高かったり、性癖に刺さったり、特別な思い出があったり、他にも色々人の数だけ「良い」があります。これらの「良い」はバラバラで当たり前です。自分の「良い」を信じましょう。


話題を変えましょう。「あなたにとって」アバターとは何でしょう?これは少し難しい問いですが、例えば自分の理想の姿であったり、服のようなものであったり、生きやすい姿であったり、ロールプレイの道具であったり、この認識に関しては本当に人それぞれです。ちなみに私は"いつもの姿"が"自分自身の本質的な姿"、それ以外が"いつもの姿"の私がアバターを纏った姿、といった感じ。多重レイヤーだったりします。
それはさておき、私立VRC学園の目的は「VRChatで暮らす」こと。ならば、様々なアバターの扱い方を学んでおくのは理にかなっているでしょう。

我々は何を見て「かわいい」と思っているのでしょう。我々は、アバターやトラッキング、ボイチェンなどのメディアを介した人を認識していますね。では、何が「あなた」なのでしょう。逆に言えば、何を入れ替えたら「あなた」とは言えなくなるのでしょうか。

たとえば多くのアバターを同じような色調に改変する人がいます。複数のアバターに同じ要素を取り入れること、「アイデンティティを保持すること」は、アバターが変わっても個人を認識することの手助けとなります。
逆に、「アイデンティティを保持すること」を捨てて、いつもと全く違う姿となることで、「いつもと違う自分」を演出することができます。姿を変えるコストが非常に低いことが、自由な自己表現やロールプレイの手助けとなっています。

たとえば現実の見た目に自信が無くても、アバター上ではそれに囚われずにおしゃれ(=改変)をすることができます。現実にしろアバターにしろ、「あなた」の理想の姿を実現しようとすることにおいて、これらは全く同じことです。
それに限らず、姿によって相手にどのように認識されるかをある程度コントロールすることができます。白衣にモルタルボードの姿なら先生として、学生服なら学生として、それぞれ認識させることができます(実は私個人としてはこれが第5期の最大の注目事でした)。

また、「プロテウス効果」といって、オンラインコミュニケーションにおける自分を表すキャラクターの見た目などが、ユーザーの行動特性や外向性に影響を与える可能性が指摘されています。もしかしたら、活気のあるアバターを使うとより行動的に、賢そうなアバターを使うとより思慮深くなるのかもしれません。

最後に、宿題としてあなたにとって、より「良い」姿を見つけることを課しています。
以上が授業概要です。というかほぼ全部。今回は授業が終わってから思い出しつつ書いています。


授業内容が変わっても

4期の授業では、「VRChatでできることと、あなたにできること」と題しまして、VRChatterが何をしているのかと、あなたは何ができるのか、何をするのかということを説きました。
一見授業内容が大きく変わっているように見えますが、実は芯は同一のものが通っています。ただ、私の360時間VR体験実験5期生入学、更にはMeta社の発表と、一部偶然もありつつ「今授業をやるならこのテーマ」ということで話させていただきました。

じゃあその芯って何なの?という話ですが、「VRChatは自由で、何でもできる空間」というのが核心です。4期では活動を軸に授業を組み立て、5期では姿を軸に授業を組み立てましたが、「VRChatは自由で、何でもできる空間」という点は根底にあります。なんでもできるから活動をしてみるのか、なんでもできるから自由な姿を手に入れるのか。たったそれだけの違い。

もうちょっと突っ込むと、ただ「行動しよう!」って言っても実際は中々難しいです。多くの人にとって、行動するのはコストが高い。では、コストが高い要因は何なのか?という部分から、「良い」姿であることの重要性へと繋がっていきます。


「良い」姿であることの重要性

今回の授業では「良い」姿であることを第一に主張しました。ではなぜ、「良い」姿であることの重要性を叫んでいるのでしょうか。

私が提示する一つの答えは、自信の獲得です。
何かしようとしてもできない、行動するのが怖い、そういった感情の裏には自信のなさがあると考えました。当然、一般的には自信というのは一朝一夕で手に入るものではありません。一般的には。

しかしここはVRChat。逸般的な空間です。他人との活発な相互作用の中で、自信が簡単につくこともあれば、自信が簡単に崩れ去ることもあります。他人との相互作用の中で生まれた外的な力による自信は、偽物とまでは言いませんがかなり脆いものです。

では、強固な自信とはどこから生まれるか?私の答えは内的な力によるもの、です。これをモノにするためには環境や考え方から変えなくてはならないのでめちゃくちゃ大変です(これを書いている私すら見失うことがあるくらいです)。自分で自分のことをどう認識するか、というのは変えられはするけれど普通は変えるのが難しい。

しかしここはVRChat。逸般的な空間です。自分の外面、外見を変えるのが極めて容易な空間です。ところで人間は五感を使って情報判断をしますが、その中で視覚が占める割合は約87%と言われています。では、「自分自身に関する視覚情報」を書き換える、というのはどうでしょうか?もし自分自身が今より理想の姿に一歩近かったら?もし自分自身に対する認識を変化させられるなら?

そう、外見から自己認識を無理やり書き換えて、自分で操作できるもの(=アバター)依存の自信を作り上げてしまおう!というのが「良い」姿であれ、の裏の姿だったのです。狂人的すぎる。
本当の意味での自分に依存しているわけではないので、真に内的なものかどうかと問われると完全にそうとは言い切れません。しかし、外的な力と大きく異なるのは、それを自分自身の意思でコントロール可能という点です。

人を変える(=外的な力によって)ことはできません。しかし、人は変わる(=内的な力によって)ことができます。とはいえ、いくら内的な力といえど、コントロールしやすいものとしにくいものが存在します。たとえば、感情や生理反応はコントロールしにくいものです。逆に、願望や行為はコントロールしやすいです。
そこで、自分にとって「良い」姿を選択するという行為を用いて、願望を叶えていこうね、「願望を叶える」という目標達成を基に自信を手に入れようね、というのが「良い」姿であることの重要性です。


私個人の願いとしては、その自信でより様々な行動を起こしてほしいと思っています。人々が起こす様々な行動の連鎖が次の行動を、しいては文化を作っていくと思っているので。
しかし、別に行動を起こしたい人が全員でないこともよく知っています。というか、何かしたい人の方が少ないというのが事実です。楽しく過ごせればなんでもいいので。

だから、アバターの扱い方を紹介しました。アイデンティティを、ファッションを、提示しました。「良い」姿であることの重要性、私が提示するもう一つの答えは、存在の楽しさです。

現実の鏡を見て、楽しいと思ったことはありますか?私はないです。じゃあVRChat内の鏡だったら?私は「かわいい~!!!!!」って言って満足したことがあります。結構な回数。ただそれだけでもVRChatにいていいと思っています。それが楽しいなら、それでいい。

で、「販売アバターを自分色に染め上げる」とか「季節や行事に合わせた改変をする」という行為は、アバターを纏うことの楽しさ、もとい存在の楽しさを最大化すると思っています。当然、楽しい場所には居続けたいと思う訳で。

私はVRChatに可能性を感じていて、同じように可能性を感じる人を増やしたい。可能性の形は人それぞれなのでどのような形でも良いと思っています。ただ、可能性を感じる人が多ければ多いほどこの世界の未来は明るいと思っています。

これは私がパーティクルライブを作り続ける一つの理由でもあって、「この世界はこんなこともできるんだ」って感動してほしい。それで「VRってすげぇ」って思ってほしい。そういう人が増えることで、より間口が広がって私は嬉しくなります。
これは私がVRCUnity勉強会で活動する一つの理由でもあって、「この世界はこんなこともできるんだ」って関心してほしい。それで「Unityってやべぇ」って思ってほしい。そういう人が繋がることで、より挑戦する人も増えて私は嬉しくなります。
これは私が私立VRC学園で講師をする一つの理由でもあって、「この世界はこんなこともできるんだ」って興味を持ってほしい。それで「VRCっておもしれぇ」って思ってほしい。そういう人が集まることで、より世界は面白くなって私は嬉しくなります。

とにかく、私はこの世界で楽しく暮らす人口が増えてほしい。それが私と直接関わるような近い世界でも、全く関わりのない遠い世界でも構わない。その「楽しい」の総量が、私と、私よりすごい何者かが、この世界をもっと面白くするために必要な原動力です。


エゴエゴしいですね。


文化堅持

流行りなので、メタバースの話をします。

画像1

はい。M社が理想とするメタバース、面白いか?って話です。あえて言います。面白くね~~~~~!!!!!全く面白くね~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!

メタバース、自由であれよと思う訳です。別にkawaiiに傾倒しろと言っているわけではなく、ケモでも機械でも怪物でも虚無でもなんでもござれ、と思う訳です。それを画一化したくないし、されたくない。現実では不可能な高度にカオスな空間であった方が純粋に面白い。(世界はそれを受け入れるが、世界に住んでいる人々がそれを受け入れるかどうかはまた別の話だが。)

「私の望む」メタバースとは、新たな世界という選択肢の提示です。基底現実(=リアルワールド、実際の私たちの肉体が存在する世界)に生きづらさを感じている人、基底現実では縛りが多くて動きづらい人、そういった人に対してメタバースという選択肢が提示されてほしい。だから、メタバースは1つに限らないと思うし、当然多種多様なメタバースが存在しうると思う。

ただ、その過程でメタバースは多様性を持っていてほしい、とも思います。我々は基底現実と大きく切り離された「実際のメタバース」を面白いと思って受け入れていますが、当然そうでない人もいるわけで。そうでない人への選択肢として別のメタバースがあって然るべき、そういった多様なメタバースの中から自分がよいと思ったメタバースを選ぶことができる権利はあるべき、と思います。「実際のメタバース」をつまらないと一蹴にされても構わない。基底現実と地続きの"Meta"verseを望んでも良い。多様なメタバースの一つであり、多様なメタバースの一つでしかないのだから。

それでもなお、「VRChat」というメタバースが何者かによって浸食されていくのが怖い。では我々は何を恐れているのか?
我々が恐れているのは企業の参入なのか?いや、元々HMDだってプラットフォームだってHTC、Oculus、Valve、Steam、そしてVRChat社といった企業がベースのはずだ。
我々が恐れているのは金づるにされることなのか?いや、もうとっくに金払いの良い人たちが楽しんでいて、金を出すことそのものに抵抗感はあまりない。
我々が恐れているのは一般人の流入なのか?いや、一般人は我々のような日常的長時間プレイに耐えられず、それを超えてくる者達はもはや一般人ではなく、"こちら側"の人類だ。

では、我々が恐れているのは何か。私の答えは文化の淘汰だ。具体性を伴わせるなら基底現実によるVRChatの浸食だ。現状我々の多くは、基底現実は基底現実として、VRChatはVRChatとして、分けて楽しんでいる層が多い。
VRChatに現実の属性を持ち込むこともある(リアル既婚者集会、車好き集会、方言酒場など)が、それはVRChatを楽しむ上でのスパイスとして存在するものであり、その属性が必須という訳ではない。
むしろ、パーティクルライブが生まれ、VRスポーツが生まれ、アバター統一アイドルが生まれ、そういった現実と切り離されたコンテンツの中でコミュニティが生まれ、文化は形成されてきた。

我々が恐れているのは、そうした「現実と切り離されたVRChat」の世界が、文化が、基底現実と地続きになることだ。容姿や体格、身分や住処といった現実の情報をゆるやかに無視することで生まれてきたものを、外圧によって否定されることを恐れている。我々がVRChatという世界で4年間築き上げてきた文化を踏みにじられることを恐れている。
この点に関しては、ニッソちゃんの「リアルワールドとがサイバーワールドの一致が現在のサイバーワールドを踏みつぶす」という論(リンク後述)を支持しています。本当にそうなるかどうかは別として、これを恐れているのだ、という観点から。

リアルワールドに塗りつぶされたサイバーワールドは、ついに完璧な「メタバース」となる。それは「拡張現実」であり、「もう一つの現実空間」といえるだろう。そして、「原住民」たちも否応なく適応させられ、過去の文化を細々と伝えながら「教化」されて揃いのアバターを身にまとうようになる。

現在のVRは企業の参入により必ず破壊される (ニッソちゃん 著) より


では、我々が文化の淘汰を恐れているとして、我々にできることは何だろうか。VR文化アンバサダーのアシュトンさんは、「理想のメタバースに向けて我々ができること」として、こう語る。

メタバースVRに懐疑的な人も、期待を寄せる人までもが「こんな未来が来るといいよね」→「いやもう来てますよ」みたいな周回遅れとも捉えられる会話をしている。この認知ギャップは早急に埋めなくてはならない。

我々がこの現状に対してできるのは発信だ。メタバースを先陣を切って体験している我々が、今後入ってくる新規層へ歩み寄り、現状を正しく伝えていかなければならない。

メタバースは多様性のビオトープ VRの一般化は文化の破壊をもたらすのか(アシュトン|ASHTON_JP 著) より

現状に対して「発信」を選択することは大いに正しいと考えている。我々をより理解してもらうため、我々の文化を守るため、メタバースで「今」何が起きているかを発信する必要はあるだろう。ああそうかと思った人は、是非発信をしてほしいが、そう言ったところで果たして何人が正しく「発信」を行えるだろうか。

ここでの正しさとは、情報の正しさ(正確性)というよりは、対象の正しさ(ペルソナの選定)という部分に重点があると考えている。たとえば、我々は常日頃TwitterでVRChat内の写真をツイートしている。これは確かに発信であろう。なんなら「一億総発信時代」と呼ばれることもあり、これを発信ではないとすることはまずできない。
しかし、その発信先は誰だろう。多くの人は「FF内に届けば十分」だと思っていないだろうか。おそらく、この発信手法では外側の人間へ適切に情報を発信できていない。他にもnoteやブログ、動画といった形での発信が見られるが、果たして、その中で対象を外部に向けた「発信」を行えているのは一体何%なのだろうか。

残念ながら、私は対象を正しくとった「発信」の方法について詳しくない。なので、「このように発信するといいですよ!」なんてことは言えないのだ。では諦めるしかないのだろうか。「発信」が行える人に任せて、我々は何もできないままでいるしかないのか。

私はもう一つのアイデアとして、「文化堅持」を提示します。文字にすると堅苦しいですが、やることは難しくないはずです。良いと思ったものに良いといい、それを共有し、この文化の中で過ごすこと。壊されるのが怖いなら、壊れないくらい強固な地盤を作りましょう。「発信」という外への働きかけが難しいなら、「文化堅持」という形で内への働きかけをしましょう。

我々が培ってきた文化の中でも、とりわけ外から火種が降ってきがちなのがアバター文化について。M社のメタバース図を見てもらえば分かる通りですが、これをよしとするのかという話です。私はよしとしないので、VRChatで良いと思ったものを支持して、自分の良いと思ったものを共有して、信じていきます。講義スライドにもこうやって書いてあります。

画像4

最終的には、自分の「良い」を強く信じ続けた方が勝つと思っています。「良い」の共通部分が文化を形成し、皆が「良い」を持つこと、文化堅持することが、外からの淘汰に対抗するための必殺技とまではいかなくとも、パッシブスキルとして強く働くはずです。


偶然にも、Meta社のおかげでアバター文化周りのお話がTwitterで盛り上がり、講義内容にも繋がったよねってお話でした。

こちらのnoteもお読みください。


学園講師の何たるか

学園の話に戻しましょう。

4期学園講師をやり、VRCスクールを卒業し、今回5期学園講師となりました。そのスパンは約4ヶ月ほど。4期のとある事件なども垣間見たり、新しい関わり合いがあった中で、「学園講師の何たるか」というのをずっと考えていました。
めっちゃ色々考えて、学園とスクールの構造の違いとか、目標の違いとか、結構広く分析したつもりですが、結構本筋と逸れちゃうのでそれはまぁまた別の機会に書きます。

で、「学園講師の何たるか」ですが、最終的に2つの要点に絞り込めました。1つは「新たな見聞を与える者」としての講師、もう1つは「コミュニティ成長のきっかけを与える者」としての講師です。

1つ目は非常に分かりやすく、いわゆる学校の先生なんかがそれです。知らないことを教えてくれる。質問したら答えてくれたり、一緒に考えてくれたりする。そうやって生徒に新しい世界を見せてくれる者としての講師です。

2つ目を理解するためには学園がどのような目的を持ったコミュニティなのかをよく考える必要があります。学園の目的は「VRChatで暮らす」こと。更に、「文化形成のための遺伝子を作る」「文化のアーカイブと発信」という点で目的が支えられています。

じゃあ、「文化」って何?って話です。私の考えをざっくり言うと「ある人々Aの部分集合αで、集合αはある傾向を長期にわたって持っていて、補集合¬αはその傾向を持っていない」ような時、それはα特有の「文化」といえるのではないでしょうか。たとえば、地球全体の人々の中でも日本人には、「湯船に浸かる」という傾向があります。他の国の人々はほとんどが湯船につかりませんから、これは日本人特有の「文化」と言えるでしょう。

「新たな見聞を与える者」としての講師は「文化のアーカイブと発信」に当たるでしょう。単純に、VRC民の中でも講師を含む集合にはどのような文化があるのか紹介することがそれに当たりますね。
問題は「コミュニティ成長のきっかけを与える者」としての講師について。話の流れから当然「文化形成のための遺伝子を作る」に当たるのですが、これが非常に読み解きづらい。実は「文化」が取る部分集合αには隠れた条件があります。それは、「α≠∅」です。つまり、1人以上必ず必要です。1人で「文化」を名乗れるのかはさておき、1人以上の部分集合αを取ることと、αには母集合Aが存在するのが大事です。

安直に言うと、「文化形成のための遺伝子」とは、コミュニティのことだと考えています。何らかのコミュニティが母集合の中で特別なことをしているとき、それを「文化」と呼ぶのでしょう。先の例でいえば、日本人というコミュニティが地球全体の人々という母集合の中で、「湯船につかる」という特別なことをしています。それを「文化」と呼ぶのでしょう。当然、コミュニティは0人ではなしえないですし。
だいぶ見えてきました。「文化形成のための遺伝子を作る」改め「コミュニティを作る」ことが学園の目的ならば、その焦点は作られるはずのコミュニティ、つまりクラスにあるはずです。より乱暴な言い方をすれば、実は講師という存在はそこに含まれていません。更により乱暴な言い方をすれば、実は授業そのものには興味がないんでしょ?授業より放課後の方が楽しみなんでしょ?ということです。傷つきましたか?結構。何せ、あなたには傷ついてほしいから。

じゃあ、そういう前提で、授業そのものには興味がないかもしれないという前提で講師に何ができるのか。私の答えが「コミュニティ成長のきっかけを与える」ことです。もっと平たく俗に言えば、「雑談の話題を提供する」ことです。
人は、親しい人々同士でコミュニケーションを取れば、勝手に幸せになるようにできています。VRC、存在する最強のコンテンツが「人」なので、基本的に飽きることはありません。人は変化するので。でも、話題に困ることくらいはあるかもしれません。話題がないと雑談は始まらず、コミュニケーションも難しいので中々幸せになれません。
講師という存在、その間にズカズカと合法的に入っていって話題を提供できる結構稀有な存在だったりします。別に授業直後に限らず、いつか遠い未来だったとしても、授業で受けたことがちょっと気になって話してみる。なんてことがあれば万々歳でしょう。

この辺は講師募集要項にも香りを感じられて、「グループワークを推奨」しているという事実が存在します。グループワークはコミュニケーションなしでは進めることができません。実際、5期の授業(予定)では「クラスメイトのことをもっと知ろう」というお題目で色んなアバターに変わってもらいました。講習のすゝめで習った「エンタメ授業にすること」というのを私なりにやろうとした結果でもあるのですが、それ以上に生徒同士で自発的なコミュニケーションをしてほしいなぁ、という気持ちです。講師GlinTFrauleinのことなんぞ忘れてもらっても構わない。その代わり、「宿題」という形の杭を打たせてもらうけどな!ガハハ!


「"伝える"ことに関してはプロなので」

私が学園期間中に何度か発した言葉です。これに関しては、リアルの私の昔話をすこし挟むことになります。

私は小学生の頃いわゆる「子役」として、芸能プロダクションに所属していた時期があります。そこにはいくつかコースがあって、私は中学生になる頃からナレーションコースを専攻し始めました。大人に混じって、といった感じだったので、より本腰を入れ始めたのは高校生になってから、声の安定性などが大人と同レベルになってからです。

一重にナレーションコースといっても、より正しく言えば様々な「声」に関する仕事全般です。でも声優とはちょっと違う感じ。たとえばニュース原稿はもちろん、ドキュメンタリーのナレーション、元気で活発なCM、物語の朗読など、多岐にわたって練習をしました。数はあまりありませんでしたが、実際に声のお仕事で収入も得ていました。

先生が3名いらっしゃるのですが、その中でも最もお世話になった先生の言葉の中に、「舌で言うのが話す、吾が言うのが語る、人が云うのが伝える」というものがあります。私の「伝える」ということへの心持ちは、ここから来ています。

話を現在に戻します。過去と今で声は違えど声を武器にお金を得ていたこと、「伝える」ということに対する概念的・技術的修得があることをベースとして発したのが、「"伝える"ことに関してはプロなので」という言葉になります。

正直、実際の現場よりVRChatの方が幾分やりやすい部分があります。実際の現場では例えば「何人に対して伝えることを想定して読む」みたいなことを頭の中で補完する必要があるのですが、VRChatであれば伝える対象が見えている人数のみになります。とか、読みにくい原稿というのがどうしても存在する現場に対し、自分で作れば読みにくい原稿を作らなくて済む、みたいなメリットも存在します。


「よい講師」

注意 : 刺激の強い内容、攻撃的な内容を含みます。あなたが抱いた感情に私は一切責任を持てませんが、何か話したいことがあるならDM等でご連絡ください。そこまでして言いたいことがある人となら、VRCで直接話したい。


「よい講師」って何でしょう。もう少し具体的に、VRChat、もしくは私立VRC学園というフィールドで講師をするにあたって、どのようなことに気を付けるべきなのでしょう。

yoikamiさんに講師向け「講習のすゝめ」ということで色々教えていただきました。その中で出てきた内容として、「講師たるもの五者たれ」という言葉があります。講師は以下に示す「五者」であることが望ましい、という昔からの教えです。

学者:常に学び続ける姿勢
役者:話す抑揚や身だしなみ、見られる立場としての意識
易者:いわば占い師みたいなもの、断言するなどして「信じられる」存在となる。
芸者:楽しい授業にするため、芸はほしい
医者:理屈を追求してる生徒が多いのか、考えるのが苦手な生徒が多いのか、それにあった「処方箋」を作れ

講師向け「講習のすゝめ」 (yoikami 著) より

もちろん一人で全部するのが理想なのですが、無理です。なので、基本的に講師チーム複数人でこれらを埋めていくことになります。私の場合、学/役に関しては元々自信があり、易/医に関してはこれを学んでから意識し始め、芸に関してはまだ至らない部分がある(から事前準備のスライドで頑張った)、という認識です。

実際、生徒アンケートで「印象に残った授業を教えてください」という項目があるのですが、4期では1名私を挙げてくださったのに対し、5期では3名にまで増えました。数字で結果が出るのは嬉しいことです。実際は1人に強く刺されば大成功、とまで思っています。


では、「五者」が足りない講師はどうなるのでしょうか。

たとえば「学者」が足りなかったら。生徒からの質問に対して「分かりません」と答える講師は興ざめです。そりゃ「じゃあいいです、自分で調べます」になってもおかしくありません。講師は生徒に教える内容を3倍理解していないといけないとは言われますが、それでももし本当に分からなくても学者たるもの「では、一緒に考えてみましょう」くらいはすべきではないでしょうか。

たとえば「役者」が足りなかったら。どこからが授業の本題で、どこから伝え対部分で、どこからが気持ちを楽にしていいのか分からない。これは生徒へのストレスを増大させ、学習効率も低下するでしょう。もちろん、声については住環境も絡みますしそもそも大きくすればいいというものでもないです。それでも、説得力のある話し方や立ち振る舞いというのは確かに存在します。

たとえば「易者」が足りなかったら。生徒が知りたい部分なのに曖昧な状態にしてしまう講師は不安です。自信を持って伝えていない講師に教えられた生徒が自信を持てるわけがありません。もちろん自分の経験と真実が違うことだってあります。それでもせめてVRC学園の講師という舞台であれば「私の経験では、こうでした」と言い切ってほしいものです。

たとえば「芸者」が足りなかったら。生徒が面白くない授業に興味を持つかと言われれば否でしょう。面白くなければ、当然頭にも残りません。なんなら放課後のことで頭がいっぱいだったりしますから。正直、オーバーレイ表示で別の画面見ててもバレません。それでも講師が本当に伝えたいことがあるなら、生徒に興味を持たせるための「つかみ」を1つ2つ用意しておくべきでしょう。

たとえば「医者」が足りなかったら。どのような生徒で構成されているクラスか考えずに授業をすれば、「興味ないしよく分からなかった」という感想も出て然るべきです。クラスによって、環境によって、人によって、授業というものは当然変わります。全員を考慮するというのは不可能だとしても、どういう部分をメインターゲットにし、それ以外の部分をどう拾い上げるか、というのは考えておくべきですね。


私の考えをハッキリ言うと、授業に対する生徒の不満は、講師に非があります。100%とはいいませんが、その多くの割合を講師が持っているというのは確かです。対偶を取れば、講師の努力次第で、授業に対する生徒の満足度は上げられます。

その上で、全ての講師に、それもVRChatの、VRC学園の講師にこれを求めるのは多分間違っています。だってそもそも趣味ですから。仕事じゃないから。

まず初めにこの私立VRC学園という組織・コミュニティは、「私立VRC学園とは挑戦を受け入れ、失敗を許容する空間である。そしてこの空間は、それに伴うみんなの愛と熱意と知的好奇心で成り立っている。」という基本思想に支えられているものだと考えています。

質はともかくとして、ひとまず挑戦したこと、創出したことを賞賛しよう。そんな考えがあります。

生徒としての姿勢・講師としての姿勢に関する声明文 (タロタナカ 著) より

挑戦を受け入れ、失敗を許容する空間である。当然、この空間には生徒も講師も含まれます。だからまず、講師は授業を行ったこと、挑戦したことそのものが尊いことなのです。行動してる人は、えらい。

その上で、より質の高い授業にしたい、より「よい講師」でありたい、そうなった時に講師としての努力が始まるものだと思っています。これについては、正しく努力すればするだけ生徒の反応という形で結果が伴います。
VRC学園に限らず、「よい講師」でありたいと思うなら、まず行動しましょう。準備をしましょう。「五者」になれずとも、「五者」になろうとすることはすぐにできます。まずは「五者」になろうとする、に到達することから「よい講師」への道は始まるのだと思います。

しかし私は、「よい講師」である前に、「よい人間」であれと説きたい。VRC学園は長いですから、それなりに講師-生徒間で問題が発生したこともありました。それを見るに、「実は講師の人間性、心の余裕が足りていないのでは?」という考えに至りました。

VRC学園は多様性を受け入れる空間であるからこそ、多様な人間が存在し、関わり合いが存在します。その中で、「思っていた反応と違う反応があった」というのは往々にして起こりうることです。しかし、それに対して不満を抱くというのは果たしてどうなのでしょう。いや、より突っ込んだことを言えば、「自分にとって不快な反応はしないでほしい」はあまりにもエゴがすぎませんか?

それでも「よい講師」であろうとする方へ、yoikami先生のお言葉を引用して、この章を締めさせていただきます。

授業で一番ストレスを抱えるのは教師です、生徒のストレスを減らすためとはいえ、無茶に努力するのは教育者の仕事ではありません。教育は基本的に「チーム」で行います。自分の管理がしっかりできて初めて生徒と向き合えることを忘れずに居て下さい。

講師向け「講習のすゝめ」 (yoikami 著) より


続・私とVRC学園と。それからこれからと。

画像5

私立VRC学園という構造をご存知でしょうか。今も昔も、たくさんの熱意と「面白い」で成り立っている学園型コミュニティです。これを書いている頃にはもう全て終わっているので言いますが、5期は生徒としてもVRC学園に参加しました。ついに外側の人間ではいられなくなりました。つまり、「担任」「副担任」「生徒会」のポストに潜り込めるようになりました。

結論から言いますと、説明会には行こうと思いますが担任/副担任はやらないと思います。多分、担任をやることによる満足度に関しては、私より他の方の方が高いものがあるかと思われます。実際の体感として、担任というのはシステマティックで縛られた存在でした。私はそれを面白いとは思わない。私以外に「それでも学園に携わりたい」と思う方はいるはずですから、そういう方に任せるのが得策というところでしょう。

更に、生徒会は興味があっ「た」のですが、そこは私の出る幕ではなさそうです。現在の生徒会は「私立VRC学園」というシステムを安定して回し続けることを責務としています。私はそれを面白いとは思わない。私以外に「VRC学園を繰り返し成功させたい」と思う方はいるはずですから、そういう方に任せるのが得策というところでしょう。

私には、伝えられることがあって、伝えたいことがあって、誰よりもVRC学園の講師について考えていて、他のどんな講師よりもそれを理解している自信がある。多分、これからも講師として参加し続けるし、参加したいと思っています(講師は新しい方を優先して受け入れるので、いつまで持つかは分かりませんが……)。

もしかしたら、逆に「講師に」何かを伝えられる、そんな稀有な存在なのかもしれませんね。


参考文献等

授業内スライドでも提示したのですが、アクセス性が悪いのでここにも残しておきます。

Luck【ラック】(@Name_is_Luck_), 「3泊4日ベニスマン生活 64時間ベニスマンで過ごす」, 2020, <https://note.com/luck_researcher/n/n72273fbab4bc>, 10月20日閲覧

GlinTFraulein(@GlinTFraulein), 「2週間VR体験実験 ~鏡の中の私“以外”~ 結果」, <https://note.com/glint/n/n9a4c84041557>

難波優輝(@deinotaton), 「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ」, 2018, <https://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/05/19/バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン>, 10月20日閲覧

まつなが(@zmzizm), 「俳優、着ぐるみ、Vtuber」, 2018, < http://9bit.99ing.net/Entry/87/>, 10月20日閲覧

難波優輝(@deinotaton), 「いくつもの身体のあいだで‒‒‒‒バーチャルYouTuber、おしゃれ、ペルソナ(海賊版)」, 2019, <https://drive.google.com/file/d/1HI0XDFzzvT3WApGhEaq62tfEccfZMSV9/view>, 10月19日閲覧

オウタ(@outa_vrc), 「VRCユーザーを対象とした性とアバターに関する調査」, 2021, <https://drive.google.com/file/d/1YoBSwjL9oipbmrtczoW07PRIo9tD4ZV-/view>, 10月19日閲覧


おわりに

私立VRC学園には2つの可能性が存在します。一つは、コミュニティ形成と発展の場としての可能性。もう一つは、新たな学びを得ることのできる学術の場としての可能性。これからも、VRC学園のこの2つの可能性を最大化することができる講師でありたいです。


あるいは、私立VRC学園を超えて……


ここから先は

0字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?