midori nakamura

Interested in: social inclusion, well-being…

midori nakamura

Interested in: social inclusion, well-being, healthy living, and exploring the world :)

最近の記事

「いつからか、世界をよく見れるひとになりたいと思うようになった。それは幅広さというよりも、奥行きの探究への欲求であった。」「哲学をするとは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく。」(永井玲衣、水中の哲学者たち)

    • “Poetry is the lens we use to interrogate the history we stand on and the future we stand for. “ (Amanda Gorman)

      • “Understanding diversity is the driver of innovation.” “Being humble and shy is different. We have to be more global.” -Mickey Mikitani

        • 「あまりに居心地のいい環境に落ち着いてしまっていると自分が感じる場合には、そのコンフォートゾーンを飛び出して、いつもとは異なる刺激が得られる環境を能動的に求めていくことも大切になってくるかもしれません。」(小林りん)

        「いつからか、世界をよく見れるひとになりたいと思うようになった。それは幅広さというよりも、奥行きの探究への欲求であった。」「哲学をするとは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく。」(永井玲衣、水中の哲学者たち)

        • “Poetry is the lens we use to interrogate the history we stand on and the future we stand for. “ (Amanda Gorman)

        • “Understanding diversity is the driver of innovation.” “Being humble and shy is different. We have to be more global.” -Mickey Mikitani

        • 「あまりに居心地のいい環境に落ち着いてしまっていると自分が感じる場合には、そのコンフォートゾーンを飛び出して、いつもとは異なる刺激が得られる環境を能動的に求めていくことも大切になってくるかもしれません。」(小林りん)

          「途上国に比べて、先進国出身の生徒は簡単には問いを立てにくい状況に置かれているのかもしれません…しかし実は先進国の日本でも、社会問題は山積しています。少しアンテナを高く持てば、実は身の回りにたくさんの課題があることに気づきます。」(小林りん『世界に通じる実行力の育てかた』48)

          「途上国に比べて、先進国出身の生徒は簡単には問いを立てにくい状況に置かれているのかもしれません…しかし実は先進国の日本でも、社会問題は山積しています。少しアンテナを高く持てば、実は身の回りにたくさんの課題があることに気づきます。」(小林りん『世界に通じる実行力の育てかた』48)

          「福沢の社会批評が世に絶大な力を持ったのは、彼が『民』であり『私』であったからです。…官におもねったり、もたれあったりしていない独立した存在だったからこそ、民衆へのアピール力も強かったのです。」(斉藤孝『福沢諭吉・学問のすすめ』65)

          「福沢の社会批評が世に絶大な力を持ったのは、彼が『民』であり『私』であったからです。…官におもねったり、もたれあったりしていない独立した存在だったからこそ、民衆へのアピール力も強かったのです。」(斉藤孝『福沢諭吉・学問のすすめ』65)

          「その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覊独立、もつて他人に依頼せず…一人にてこの日本国を維持するの気力を養ひ、もつて世のために尽くすべからず。」(福沢諭吉『学問のすすめ』第10編)

          「その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覊独立、もつて他人に依頼せず…一人にてこの日本国を維持するの気力を養ひ、もつて世のために尽くすべからず。」(福沢諭吉『学問のすすめ』第10編)

          「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。」(福沢諭吉『学問のすすめ』)

          「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。」(福沢諭吉『学問のすすめ』)

          “I think the key to educational reform in terms of HOW is first starting with a small, specific example, and then spreading widely” (小林りん)

          “I think the key to educational reform in terms of HOW is first starting with a small, specific example, and then spreading widely” (小林りん)

          「できるだけ多くの人に社会活動に参加してもらって、自分の社会的な有用性を知り、他者から承認してもらう機会を増加させるという観点から就業支援を考えると、『それでも仕事』の種類を増やすことはきわめて有効なのではないか。」(内田樹『日本習合論』198)

          「できるだけ多くの人に社会活動に参加してもらって、自分の社会的な有用性を知り、他者から承認してもらう機会を増加させるという観点から就業支援を考えると、『それでも仕事』の種類を増やすことはきわめて有効なのではないか。」(内田樹『日本習合論』198)

          「今の時代、色んな価値が乱立している。競争する必要がない。いかにクリエイティブに、自分たちがだすべき価値をブレずに出していくか。そして経営者として大事なのは、色んな価値を調和して吸収する力。相手の文脈で相手を深く理解するためにもリベラルアーツが必要。」(COTEN RADIO)

          「今の時代、色んな価値が乱立している。競争する必要がない。いかにクリエイティブに、自分たちがだすべき価値をブレずに出していくか。そして経営者として大事なのは、色んな価値を調和して吸収する力。相手の文脈で相手を深く理解するためにもリベラルアーツが必要。」(COTEN RADIO)

          「リベラルアーツの大切さとは、自分のルーツに基づく思考方法やフレームワークにとらわれず、他の人のルーツに基づく思考方法を知るとこと。一人ひとりが自分にあった生き方を追求する今の現代にこそ大切だと思う。」(COTEN RADIO 番外編 #2)

          「リベラルアーツの大切さとは、自分のルーツに基づく思考方法やフレームワークにとらわれず、他の人のルーツに基づく思考方法を知るとこと。一人ひとりが自分にあった生き方を追求する今の現代にこそ大切だと思う。」(COTEN RADIO 番外編 #2)

          「日本では久しく(1300年もの間)仏教と神道は融合したかたちで存在していました。…ところが1868年、神仏分離令によって神仏は引き裂かれてしまう。千年以上続いた宗教的伝統が、政令一つで途絶えてしまった。」(内田樹『日本習合論』92)

          「日本では久しく(1300年もの間)仏教と神道は融合したかたちで存在していました。…ところが1868年、神仏分離令によって神仏は引き裂かれてしまう。千年以上続いた宗教的伝統が、政令一つで途絶えてしまった。」(内田樹『日本習合論』92)

          「『習合』というのはここのメンバーは出自も属性も異にしているので、同質性とか一体感によっては繋がることはできないけれど、集団として果たすべき仕事は果たす。習合は社会集団が寛容で、かつ効率的であるためによくできたシステムではないかという仮説です。」(内田樹『日本習合論』67)

          「『習合』というのはここのメンバーは出自も属性も異にしているので、同質性とか一体感によっては繋がることはできないけれど、集団として果たすべき仕事は果たす。習合は社会集団が寛容で、かつ効率的であるためによくできたシステムではないかという仮説です。」(内田樹『日本習合論』67)

          「共感主義者たちは「和」をうるさく言い立てます。異論を許さず、逸脱を許さない。…彼らが目指している「和」なるものは、多様なものご賑やかに混在しているものではなく、均質的なものが決められたポジションから動かず、生命力も繁殖力も失った「和」です。「動的な調和」は求められていません。」

          「共感主義者たちは「和」をうるさく言い立てます。異論を許さず、逸脱を許さない。…彼らが目指している「和」なるものは、多様なものご賑やかに混在しているものではなく、均質的なものが決められたポジションから動かず、生命力も繁殖力も失った「和」です。「動的な調和」は求められていません。」

          「日本人はなぜか「場の親密性」「満場一致」を偏愛する。だから、「理解しているふり・共感しているふり」が集団的に強いられるということが起きる。結果、周りの人間が何を考えているのかわからないけれど、「わかったようなふりをする」技術ばかりにみんな熟達してゆく。」(内田樹)

          「日本人はなぜか「場の親密性」「満場一致」を偏愛する。だから、「理解しているふり・共感しているふり」が集団的に強いられるということが起きる。結果、周りの人間が何を考えているのかわからないけれど、「わかったようなふりをする」技術ばかりにみんな熟達してゆく。」(内田樹)