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文章で「私」を伝えること―青山ゆみこさんの「個人向け文章添削講座」を受講して―

1、受講の経緯

 2020年は、ひたすら「書く」ことを続けた一年だった。まず、7月までは毎日、前日の日記を書いてnoteで公開していた。その後、数日分をまとめて書いて一気にアップするという方式に切り替えはしたが、日記の公開は続けていた。文芸サークル・しゃんぶるぶらんしゅとしては旅行記を書き、個人の日記本とは別にエッセイ本も出した。また、自分の表現の幅を広げたくて、カルチャーセンターの詩作の教室に参加したりもした。

 しかし、日記や詩やエッセイを次から次に書いているうちに、発表して「読まれる」こと自体が目的になってしまっていて、「書く」行為そのものに真摯に取り組めていないのではないかと感じるようになった。書きたいから書いているはずなのに、「たくさんの人に読んでほしい」「こういう風に読んでほしい」という欲が出て、その欲が満たされないことに焦りも覚えていた。もう一度原点に立ち返って、自分が何のために、何をどう「書く」のかしっかり考えたいと思った。

 そんな折、コロナ禍の交換日記本『あんぱんジャムパンクリームパンー女三人モヤモヤ日記』(亜紀書房)と出会って感銘を受けた。その著者のひとりであるライターの青山ゆみこさんが「個人向け文章添削講座」を開講していることを知り、思い切って第七期募集(2020年10月課題作品提出)に受講申し込みをしたのだった。

 講座の詳細はこちら↓



2、メールでのやりとりの意義

 受講申し込みや課題伝達、作品提出や添削など、講座におけるやりとりはすべてメールで行われた。
 もし対面の講座やzoomだったら、特に努力しなくても、私の顔や年齢や立場、声や話し方などパーソナルな部分を知ってもらうことができる。SNSやnoteなどオンライン上でのやりとりだって、アイコンや自己紹介欄、誰をフォローしているか、文章に添えた写真など様々な付加情報がある。そして、他の人にもそのやりとりは可視化される。

 だけど、この講座は、メールの本文だけで、会ったことのない相手と、完全に一対一の関係を築いていかなければならない。メールの文面と課題作品という「文章」しか、自分を伝える術がない。

 受講前はそのことをなんとも思っていなかった。毎日文章を書いていながら、文章だけで自分を伝えることに緊張するなんて思わなかった。けれど、いざメールを送る段になると、パソコンの前に何時間も座り込むことになった。せっかくプロのライターの方が私の書いた文章を読んでくれるのだから、課題作品だけでなくメールでも自分ならではの表現をしたいと思って、メールの文面で用いる言葉を考えに考えた。そして、普段、自分がいかに、「お世話になります」「よろしくお願いいたします」「ご自愛ください」などの決まり文句に頼って文章を書いているか、改めて思い知らされた

 あれこれ考えて伝えた言葉に、青山さんは毎回丁寧なお返事を返してくださった。そのことがとても嬉しく、お返事が来るといつもやりかけの仕事や用事を投げうって夢中で何度もメールを読んだ。

 受講者募集記事の中で青山さんが以下のように書いていらした。

添削の提出、お戻し以外のメールでのやりとりも、すべて「書く」ための時間だと考えてください。そうするとより実りある時間となる気がします。お互いに。

 本当にその通りだった。課題作品の提出・添削だけでなく、青山さんとのメールでのやりとりも含めて講座の内容の一部だと強く感じた。


3、提出作品「日記を通して、何とつながる?」

 以下、私が提出した課題作品を引用する。段落冒頭のアルファベットは説明のため後から振ったものだ。

 (A)日記が好きだ。日々の出来事や考えたことを文章で記録して、推敲したものをnoteで公開する。そんな日々を一年と数ヶ月、続けている。
 (B)テーマのあるエッセイだと、これは自分が書くべき題材か、論理的な一貫性はあるかと考えてしまう。だけど日記なら、くだらないことを書いても、昨日と今日で矛盾があっても、これが私の日常だもの、と割り切れる。自然に「盛れる」一日があれば、どう頑張っても「盛れない」一日もあるけれど、毎日を欠かさず記録するうちに、どんな日もかけがえのない一日だと感じるようになった。
 (C)なぜ、そんな私的な記録をネット上に公開するのか。私は、誰にも見せない文章を書き続けられた試しがほとんどない。唯一、学生時代に日記のようなものを手帳に綴っていた時期があったけれど、それはあまりにまがまがしい、厭世的で露悪的な言葉の羅列だった。瞬間の激情のままに言葉を吐き出せば、直後は気持ちが軽くなるけれど、翌日にはもっと過激なことを書き殴らずにいられなくなった。自分で見返すのもためらわれる刃物のようなその文章は、うっかりそれを見てしまった身近な人のこともひどく傷つけた。私はもう、誰にも見せないことを前提に文章を書くことはない。
 (D)note日記を始めて、起きた出来事やそのときの感情を観察し分析して、読み手(自分も含む)に伝わるように丁寧に言葉にしていく一連の作業が、自分の心を健やかにしてくれることに気づいた。書いているうちに、自分の中で沸き上がる怒りの源泉が幼少期の体験にあることがわかったり、嫉妬のような認めたくない感情にも形を与えることで、同じ感情が次に来たときに落ち着いて対処できたり。日記という媒体を通して、過去や未来の自分と現在の自分が手をとり合うというか、連帯してお互いを癒していくような感覚があった。
 そして、酒を飲み過ぎてトイレが間に合わない! というような恥ずかしい出来事も、日記というフィルターを通すと不思議と受け入れられた。自分で自分をネタにする、というのとは違う。盛れない一日の日記にもいろんな私らしさが漏れていて、それはそれで面白い、と思えるようになった。
 (E)日記を公開していると、私はここだよ、と世界に呼びかけているみたいだと感じることがある。時折、思いもよらない方向からこだまが返ってきて驚く。誰かの日記に自分の日記が引用されているのを発見したり、日記に寄せられた感想コメントによって自分の新たな一面に気づけたり。特に、今年春に緊急事態宣言が出されて、東京のアパートで一人心もとなく過ごしていた時期には、そういうやりとりが心の支えになった。
 (F)note日記は私にとって、私的な記録というより、中学時代に夢中で書いていた友人との交換日記の延長なのかもしれない。過去や未来の自分に向かって、そして世界に向かって、広げて差し出す交換日記。それを受け止めて返してくれる読み手のおかげで、私はたくさんの贈り物を手にしてきた。
 (G)とはいえ、書く行為が自分にとってかけがえのないものだと知っているから、もし誰からも返事が来なくても、きっと日記はやめずに続けると思う。私は今日も、盛れない一日を言葉にして、noteの公開ボタンを押す。
                              (了)


4、添削を受けて、私が考えたこと


 しばらく後にメール添付されて戻ってきた私の提出作品には、青山さんの手書きの赤文字が、A5用紙何枚分にもわたってびっしり書き添えられていた。誤字脱字やてにをはなど表現についての指摘や、内容や文体についても「もっとこういうふうに直した方がいい」的な直接的なアドバイスはなかった。提出作品の冒頭から末尾まで、そして細部の表現にいたるまで、青山さんが私の文章を読み込んでどう感じたかを、丁寧に伝えてくださっていた。

 ここでは、青山さんが私に贈ってくださったその赤文字添削の言葉を繰り返し読んで、私自身が考えた自分の課題を書くことにしたい。


4-① 字数と内容量の問題

 添削では、本文中の何か所かについて、具体的なエピソードや実体験を知りたい、補足の説明がほしい、と書いていただいた。
 提出作品を書いているうちに指定字数(800~1200字程度)の倍以上の分量になってしまい、削って削ってこの字数に収めたのだった。それでも「テーマのあるエッセイ/好き勝手に書ける日記」(B)の対比や、「人に見せない日記/公開する日記」(C/D)の対比を残したのは、「自分にとって日記とはどういうものか」を筋道立てて説明したい気持ちがあったからだ。しかし、この字数に複数の対比構造を埋め込もうとしたせいで、結局一番大切な部分が説明不足になってしまっていたことに気づいた。

 私が今回伝えたかったことは「日記を書くことで、過去や未来の自分と連帯している(D)」「その日記を公開することで、世界(他者)ともつながっている(E・F)」ということだった。それなのに、複数の対比構造を残して前者についての具体的なエピソードを端折ってしまったことで、日記を公開することについての持論がメインのような印象になってしまっていたかもしれないと反省した。あれもこれも盛り込むのではなく、字数に合わせて書く内容を精査すべきだった。


4-②「借り物の表現」

 提出作品は、時間と手間をかけて、細部まで神経をいきわたらせて書いたつもりだった。伝えたいことを過不足なく説明したと思っていたし、一つ一つの言葉を選び抜いて使っていると思っていた。それでも、青山さんの添削を受けて、うまく機能していない表現が二か所あったことに気づいた。

 一つは「『盛れる』一日があれば、どう頑張っても『盛れない』一日もある(B)」というくだり。私は、「自撮りやメイクがうまくいって実物より良く見える」ことを指す〈盛れる〉という若者言葉を、うまく自分の表現活動にあてはめて使ったつもりだった。けれど、「盛る」という言葉の語源にそういった意味合いはないし、読み手が「話を盛る」というときの用法でこの言葉を受け取っていたとしたら、それもまたニュアンスが変わってしまう。自分の中の言葉のイメージを共有して意図を伝えられるように、説明を加えるべきところだった。(「盛れる」と「漏れる」のダジャレも思いついて、いやー私めっちゃうまいこと言った! なんてはしゃいでいる場合ではなかった。)

 もう一つは、「どんな日もかけがえのない一日だと感じる(B)」というくだり。青山さんから、この箇所について指摘を受けてハッとした。「かけがえのない」という言葉は、耳馴染みはいいけれど、自分の内面から湧き上がってくる実感をあらわすのに適切な表現ではなかった。おそらくそれは、大森靖子+最果タヒ『かけがえのないマグマ』を読んだり、アイドルが卒業を発表するときに「〇〇として過ごした日々はかけがえのない時間でした」と語るのを聞いたりするうちに自分の辞書に加わった語彙で、その意味するところを深く考えることがないままなんとなく文章の中で使っていた「借り物の表現」だったなと気づいた。

 友人の伏見ふしぎはそういう表現を、「手先だけで書いた文章」と呼び、「手先だけで書いた文章は絶対読み手にそれと伝わる」と言っていた。本当にそうだ。自分の身体の内側から、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながらぴったりくる言葉を探し出す労苦の先にしか、書き手である自分自身を伝え、読み手の心を動かす文章は生まれないのだと改めて思った。


4-③ それって「匂わせ」? 

 (C)の段落に、私の文章によくみられる特徴が凝縮されているように思った。それは、見ようによっては長所にもなりうるのかもしれないけれど、私自身は、自分が今後文章を書いていく上で克服すべき課題であると感じた。

 この段落であげている「身近な人のこともひどく傷つけた」というエピソードは、私がこの文章で伝えたかった(D)(E)(F)の内容とは直接何の関係がない。「厭世的で露悪的な言葉の羅列」「激情のままに言葉を吐き出せば」「刃物のようなその文章」などの箇所でも、強くインパクトを残すような言葉を使ってはいるけれど、その内実には一切触れていない。

 この段落で書いた内容について、青山さんは「もっと知りたくなる」と書いてくださっていた。だけど、ここに関しては、字数の関係で書ききれなかったわけではなく、はなから書く気がなかったのだった。正確には、文章に落とし込めるほど自分の中で整理がついていない出来事なので、書けなかった。「人に見せない日記/公開する日記」の対比構造を明確にする、なんていうのは表面的な話で、この段落を書いているときの私の意図は、「読み手の気をひく(=書き手である私に興味をもってもらう)」ことでしかなかったなと思う。本筋とは関係ない、人には到底見せられない(と自分では思っている)自分の過去をチラ見せして、「私」がどういう人間なのか知ってほしいし、できればもっと知りたい(他の作品も読みたい)と思ってほしかったのだ。そういう自分の心性は、有名人と付き合っていると明言せずにSNS上で交際を「匂わせる」のと同種か、それ以上にエゴイスティックなものであるように感じた。

 そういう意図で書かれた文章が一概に悪いとは思わないし、いわゆるインスタ女子の「匂わせ」行為についても、私はそれほど否定的な感情を持っていない。同人誌やnoteに公開する文章だったら、秘密めいたものをチラ見せることで「私」に興味を持ってもらえたら、実際に他の本や文章も読んでもらえるかもしれない。

 ただ、今回の文章添削講座はお金を払って得たたった一回きりの機会、いうなれば一発勝負で、この課題作品で伝えたいことすべてを伝えきるつもりで書くべきだったし、実際そういう覚悟をもって臨んだつもりでいた。それなのに、そういう覚悟で書いたはずの文章に「明確には書かないけれど察してほしい」なんて甘えた意識が入り込んでいたことが恥ずかしかったし、そこに書き手としての自分自身の甘さがあると思った。例えば今後、何らかの媒体から依頼を受けて文章を書く機会を得たとして、いただいたお題や媒体の主旨に外れた自分チラ見せを盛り込んで読者の気を引こうとしたら? 私が依頼した側だったらもう二度とその書き手には依頼しないと思う。

 ここに書いた以外にも、青山さんが寄せてくださった添削の言葉をもとに、考え続けていることがたくさんある。たとえば「抑制の効いた表現」について。それはどういうものか。文体か内容かはたまたその両方にかかわるのか。書き手のどういう姿勢によって生み出されるのか。意図して出したり引っ込めたりできるのか。書き手の抑制から解放された文章のほうがめちゃくちゃ面白かったりするのではないか。まだまだ全然わからなくて、2021年に向けた宿題として引き続き考えて、自分なりの答えを見つけていきたいところ。


5、提出作品のリライト

 上記のようなことを考えて、提出作品のリライトに着手した。この文章はフリーペーパーとして印刷して、11月22日(日)の文学フリマ東京やBOOTH通販の際に頒布した。

 日記が好きだ。日々の出来事や考えたことを文章で記録して、推敲したものをnoteで公開する。そんな日々を一年と数か月、続けている。
 若い子たちは、自撮りやメイクがうまくいったり、アプリで加工した写真が実物よりよく見えることを「盛れる」と言う。私も同じように、日記を毎日書く中で、おしゃれな短編小説のようにうまくまとめられた日は、「今日は盛れたな」と思う。だけど、酒を飲みすぎてトイレが間に合わない! というようなしょうもないことばかりの一日も、書きあがった日記というフィルターを通して眺めてみると、「盛れない」なりに私らしさが「漏れて」いて、それはそれでいいか、と思えるから不思議だ。どんな一日も平等に、私という存在を形成している一つの断片で、ガラスケースに入れて飾っておくほどではないけれど、時折引っ張り出して埃を払って眺めたいような、そんな気持ちになる。
 日記を書き続けていて気づいたことがある。起きた出来事やそのときの感情を観察して、読み手(自分も含む)に伝わるように丁寧に言葉にしていく一連の作業に、私はとても救われている。
 ある日、弟夫婦の家に両親と私で遊びに行ったとき、私の父が、人見知りして隠れている二歳の姪を無理やり抱き上げたりくすぐったりし続ける姿に、激しい嫌悪感を感じた。同じく父が、生まれたばかりの甥の顔のパーツが私に似ていると残念そうに言ってきたときは、笑って流したけれど心が沈んで床にめり込みそうだった。そのことを日記に書いていると幼い頃の記憶がよみがえってきて、ああ、どちらも自分がかつて父にされて(言われて)嫌だったことだ、と気づいて自然と涙が出てきた。これは今の私でなくて幼い頃の自分が泣いているんだな、と思って、涙と一緒に言葉を溢れさせているうちに、悲しみや怒りが少しずつほどけていくのを感じた。
 また、嫉妬のような認めたくない感情も心の奥底から掬い上げて言語化する癖がついたことで、再び同じ感情が心にやってきたときに、感情の置き場を日記の中にすんなり移動させることができるようになった。これらの体験から私は、日記という媒体を通して、過去や未来の自分と現在の自分が手をとり合って、連帯しお互いを癒しているような感覚を持つに至った。
 さて、そんな私的な記録であるところの日記を、私はどうしてネット上に公開しているのだろうか。人に見せるつもりで書くからこそ、自分の感情を分析したり言葉を選んだり推敲する作業に真剣に取り組める、というのはもちろんある。けれど、それだけではない。
 日記を公開する瞬間はいつも、「私はここだよ」と世界に呼びかけているような気持ちになる。時折、思いもよらない方向からこだまが返ってきて驚く。誰かの日記に自分の日記の一節が引用されているのを発見したり、日記に寄せられた感想によって、自分の新たな一面に気づけたり。特に、今年春に緊急事態宣言が出されて、東京のアパートで一人心もとなく過ごしていた時期には、そういうやりとりが心の支えになっていたなと思う。
 日記は私にとって、私的な記録というより、中学時代に夢中で書いていた友人との交換日記の延長にあるものなのかもしれない。過去や未来の自分に向かって、そして世界に向かって、広げて差し出す交換日記。「お返事待っています」なんて書いたことはないのに、それを受け止めて返してくれる読み手のおかげで、私はこれまでたくさんの贈りものを手にしてきた。
 とはいえ、書く行為が自分にとってかけがえのないものだと知っているから、もし世界中の誰からも返事が来なくても、きっと日記はやめずに続けると思う。私は今日も、「盛れない」一日を言葉にして、noteの公開ボタンを押す。(了)


6、まとめ

 リライトでは、そぎ落としてそぎ落として完成させたはずの第一稿から、さらに思い切って複数の対比の構造も削ってみた。チラ見せ匂わせ記述も削った。そうして字数に余裕ができたので、自分の実体験についての具体的なエピソードや、機能していなかった表現についての補足説明を追加した。太字で示した箇所が、新しく追加した文章だ。前述のような思索を経てのリライトで、全く迷いやためらいがなかったので意識していなかったけれど、全体の半分近くの分量を削って書きなおしていたんだな……。

 リライトの執筆中、まるで風船の空気を抜いたりまた入れなおしたりしているみたいだな、と思いつつ、空気を入れなおした風船が、一回目と同じ素材であるはずなのに全く違う色・形になっていくことが不思議で、ちょっと他人事のように面白かった。青山さんという読み手がいてくれて、一回目の風船がどんな色・形だったか、それをどんな風に受け止めたか伝えてくれたからこそ、伝えてもらったことを元に自分が考えたことを、二回目の風船に思い切って吹き込めたのだと思う。
 二回目の風船は、「私らしさが漏れている」というより、「私」という人間そのもの、と感じた。わざわざそれとなく匂わせなくても、文章の中に書き手の「私」がいると思った。なんだ、だらしない私も、ちょっと重い過去を抱えた私も、書いたものに対する人の反応ばっかり気にしてしまう私も、それから書くことが好きでたまらない私も、そのままそこにいるじゃん。

 書きあがったリライトを自分で読んでいたらなんだかとても楽しくなって、メールの送信ボタンを、「ねえねえ、これでどうよ?」という気持ちでばしっと押した(メールの文面はいつも通り、いたって真面目に書いたつもり)。お返事はすぐメールボックスに届いた。リライトについての青山さんの感想を見て、ああ、書き手の私一人が「楽しく」なっていたのではなくて、ちゃんとこの楽しさを青山さんという「読み手」と共有できたんだ、とわかって、そのことが今年一番かもしれないくらい幸せで、体が床から浮かび上がりそうに愉快で、にやにやふわふわしていた。
 たった一人に向けて文章を書いて、あれこれ悩んで、書きなおして、添削を読んで、考えて、また書いて、そのすべてがとてもとても楽しかった。
 
 大掃除は途中だし、日記の更新は止まっているけれど、どうしても2020年中にこの記事を書いておきたかった。2020年はいろいろなしんどいことがあったけれど、コロナ禍で『あんぱんジャムパンクリームパン』という交換日記本が生まれて、その本に出会ったことがきっかけで私はこの講座を受講できた。通常時だったら仕事の多忙や何かを言い訳にして、受講にいたっていなかったかもしれない。
 青山さんとやりとりしたメールも、いただいた赤文字の添削も、これから私はきっと何度となく読みなおすと思う。読んでただ励まされるだけでなくて、その都度「書き手」として新しい何かに気づいたり、考えを深めたりできる自分でいたいなと思う。書くことに迷ったときに立ち返れる場所を与えてもらったことに心から感謝している。機会があったらまたこの講座を受講したいし、いつか、講座以外で青山さんに私が書いた文章を読んでもらえる日が来たらいいなと思っている。

#2020年振り返り #ライティング講座 #文章添削講座 #青山ゆみこ




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