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人生最大の偉業、或いは私にできる子育ての話

突然だが、私は子供の頃から子供が嫌いだった。我が家は親族の結び付きが強い家だったので、毎年夏と冬に一族が長野県にある祖父母の家に集結する。日本でいうところのお盆のようなことをやるのだ。
その際、子供たちは子供たちで集まって遊ぶ……のかと思いきや、私は大人に囲まれてニコニコ笑って難しい話を聞いて黙っているのが好きだった。
寧ろ、子供たちの無秩序な騒ぎ方を馬鹿にしてまでいた。おとなしく正座をしていられないことを、大きな声を上げずにお話できないことを、まともな敬語を使えないことを心底見下していた。嫌な子供だ。
そんな子供は大人になっても子供が嫌いだった。特に前の夫と暮らしていたアパートにはその辺から子供が集まってきて、土日の朝なんか早朝六時から合唱コンクールが始まる。地獄のファルセットで歌われる『ルカルカ☆ナイトフィーバー』──選曲が古いのもミソだ──にいつも私は癇癪を起こして泣いていた。殆どノイローゼだった。

ところで、私には遺伝病がある。精神疾患の中でもある程度の確率で遺伝するクチのものを持っているので、私は子供を生涯持たない選択をしている。いろんな選択があって良いと思うが、私が我が子に人生で与えてやれるメリットよりも精神疾患遺伝のデメリットの方が莫大にデカいので、遺伝してしまった場合あまりにも可哀想だからだ。
何も女性の価値は産めよ増やせよだけではない。それは前提として、しかし私はそういう意味での社会貢献は出来ない。それは自分の不出来を突きつけられているような気がした。
一時期は元同級生のFacebookに上がる子供の写真見るのも苦痛だった。同じ歳の子が子供を持てば『立派な大人』、なら私は? 精神疾患で国から『お前はお荷物だよ』とハンコを押された障害者であり、非正規雇用、非課税世帯、障害年金受給者、バツイチ、在日外国人、ついでに虚弱体質の肥満体質。もう八岐大蛇だ。トリプルフェイスの降谷零どころではない。早くこの首を切り落としてくれ。

さて私の意識が変わったのは、友人男性が娘を設けた時だった。彼とは中学の頃からの付き合いであり、同じ英会話教室に通う他校の生徒だった。私は彼を『グローバル素人童貞』と呼んでいた。学生時代、ドイツに行ってまで風俗店に行く猛者だからだ。言葉の通じないパツキンのチャンネー──無論巨乳──に可愛がってもらったとホクホク報告してきた。可愛いやつだ。
彼は奥さん相手に素人童貞を捨て、娘を設け、Instagramにその報告投稿をした。
『おめでとう! 何か送るよ。奥さんは労われよ、お前がやれることはお前が自主的にやれよ』
『ありがとう! お気遣い嬉しいよ。俺も父親になりたいからたくさんやるつもり』
私と彼はサッパリとした文面のやり取りをして──私はGoogleで『出産祝い 女の子』などの履歴を増やしながら何を贈るか考えた。
唐突だが、私には『心臓』とも呼べる宝物のぬいぐるみがある。小さい頃から親に言えない話を相談し、悲しいことがあれば抱きしめ、大切に大切に、三十二歳の今に至るまで一緒に眠る友達だ。
人間の友達というのは人生の方向性の違いや価値観の違いから疎遠になったり喧嘩をしたり縁が切れたりするが、ぬいぐるみというのは絶対に持ち主を裏切らない。何があっても、モノの命が終わるその瞬間まで持ち主の味方でいてくれるのだ。私は考えに考えて、ぬいぐるみを贈ることにした。
さて次は何のぬいぐるみを送るか。調べに調べ、結局ジェリーキャットという英国王室御用達メーカーのぬいぐるみに定めたは良いが、そこにも更にウサギやイヌ、ネコなど種類がある。
娘御は世界一のお姫様になるだろう。子供の命は尊いから、それぞれが王子様だしお姫様だ。──だから私は少し考えて、ドラゴンのぬいぐるみにした。もし姫君が電車や車に興味を示す子でも友達になれるよう。数々贈られるであろう友達の中でもトップに立てる、一番信頼のおける臣下になれるよう。つまりそれは護衛だ。お姫様を守るのはドラゴンと相場は決まっている。
ドラゴンのぬいぐるみを選んだ私は、姫君が文字を解するようになった時に読めるように手紙を書いた。ひらがなで、悪筆と闘いながら。
あなたは何にだってなれるし、何処にだって行ける。誰と一緒になっても良いし、一人で過ごすことも素敵だ。良ければその旅路にドラゴンを連れて行ってやって欲しい。その対価として、このドラゴンに素敵な名前をつけてやって欲しい。そのようなことを書いた。

さて話はつい先日に飛ぶ。友人男性のインスタグラムに姫君の写真が上がった。小脇にドラゴンを抱えている。
この時の喜びを、私は最初、言語化できなかった。私はありとあらゆる感情を言語化しなければ気が済まない女だ。その喜びを何とかカテゴライズしようと頭を回らせながら、友人男性に『姫君大きくなったね!』とLINEをしたのだ。『ドラゴンと一緒にいてくれて嬉しくなっちゃった』と。
『気に入ってるみたいで、よくチューもしてるから洗濯しないと! 洗えるやつで助かるよ』
その時に私は途端に腑に落ちたのだ。
子を産むだけが『子育て』ではないのだ。
私は、少なくとも今のところ、姫君相手に、大人としてしてやれることをしてやれた。大切な相棒を提供できて、もし姫君がこの先、ドラゴン以上に気にいる相棒ができても、そのドラゴンは初代お気に入りとしてささやかな王国の歴史に君臨し続ける。姫君がピンチの時に颯爽と駆けつけることができるのだ。
きっとそれは私が生まれてきて三十二年でいちばん価値のある功績だった。私はぺしょぺしょ泣きながら友人男性から娘談義を聞き、少しもそれを疎ましく思うことなく、まるで世界の輪の中に入れてもらえたような錯覚を覚えた。

私はきっとこの先再婚をしない。
私はきっとこの先子供を作らない。
私はきっとこのままひとりで好きに生きて、コロッと勝手に死ぬだろう。
その時に私がほんとうに世界に名を轟かせる文豪になれているかどうかは今はまだわからない。
けれど確かに、私は世界一の姫君に素晴らしい贈り物をすることができたのだ。

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