旅人と魔術師の会話
「わたしはあらゆるものの真(まこと)の名を知るために旅をしてきました。そしてあるとき、木陰で休んでいたときにふと気づいたのです。すべてのものの名は“ラベル”でしかなく、それを剥がしてしまえばすべてが“ひとつのもの”であることに。つまりわたしたちは統合を目指しながら、すべてに名を付けることによって“分かたれる”ことを許しているといえます」
「しかし、名を唱えることは呪術的ですよ。古い力がある。……人間の力だ。隠された名を暴き唱えるなら、それは最も力のある祈りであり魔術だ。果たして人間にそれが手放せますか?」
「いやいやいや、手放せずともよろしいのです。分かたれたままでさえあっても、肉体という舟を出てゆけば名を置いてひとつのものとの繋がりを思い出しますから。……まあ、生きている間は皆さんご自由に、ということですな。ただその、置いてゆかれた名たちはどうしているのだろうと思うのですよ、たまにね。あるじの魂と共に行くのか、この世に霊のように漂うのか、それとも……」
「案外誰かの子の名前になっているかもしれないし、水と共に流れていくか、腐った花びらのように土に還るのかもしれませんな。あるいは風に、天に還るか」
「人間の真の名は心臓に埋められた鉱石のようなものですから、わたしはあるじと共に行くのだろうという気がしてきましたよ」
「わたしなどは記録係がいるのかもしれないと思っているのですよ」
「記録係?」
「そう。そしてこの世の終わりには、この世のありとあらゆる名と言葉を集めた一冊の本が生み出されるのです」
「……それは、おそらく神か天使の仕事ですな」
「ええ。あるいは悪魔かも」
(ある喫茶店で、旅人と魔術師の会話。)