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forget-me-not
アニメの「平家物語」を見て。
わたしの想いは、誰が語り継いでくれるのだろうと思った。怒りや慟哭や悲しみや憎しみ、喜び、泣き笑い、出逢い、誰かと手を繋いだこと、感動したこと、幸福だったこと、そういうことを。
たとえば神様や目に見えないひとたちが紡いでくれるのかもしれない。想いを繋いでくれるシステムが古代からあるのかもしれない。
では、語り部のびわの想いは、誰が語り継ぐのだろう。
それはきっと。未来で。誰かが空想として描き、書き、作品として語り継ぐのだろう。わたしたちが知らないキャラクターについて空想するとき、新しい世界をつくりだすとき、それは過去の、現在の、未来の、どこかの、誰かの何かの思いを受け継ぎ語り継いでいるということだ。
もつれ絡まったものをほぐし、櫛で梳き、染めて、あるいは染めず、編み、新しい景色をあらわすこと。その先に、誰かに、何かに、続きを託すこと。
(傲慢だろうか。放っておいてもいいのだろうか。)
(でもしたいようにすると決めたから、そうするのだ。)