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空で機を織る

空には巨大な機を織っている人がいる。その糸は細いものもあれば太いものもあり、明るい色もあれば暗い色もある。透明なものも光り輝いているものもあるし、血の乾いたようなものも病室の隅の闇より暗い色もある。

機を織る人は生活の合間にゆっくりとその仕事を行う。自分で選んだ仕事であり、神様が決めた仕事でもある。地上に住む人間の祈りやありとあらゆる想いが込められた糸で機を織る。光の粒や精霊と共に。時には神様と一緒に。

わたしはわたしの仕事をしている、とその人は思う。けれど時にはこれが何の意味や価値を持つのかしら、と思うときもある。すべてが無意味に感じるとき。そうなったら機織りをやめて、猫と一緒にお茶を飲むことにしている。その人と暮らす茶色の毛並みの猫はけっこう世話焼きで――空では猫もお茶を飲めるので――お揃いのティーカップで、そうしている。

たとえ意味がなくともあなたはそれをしたいんでしょう?猫が手作りのラベンダー・クッキーを食べながら言う。その人は頷く。したいと思うなら素直にそうすればいいのよ。したくないと思ったら休憩すればいいし、嫌になったらぜーんぶやめちゃったっていいのよ。わたし、地上でもずっとそうしてきたわ。猫がウインクする。すごいね、とその人は猫に返す。

神様に許されなくたって、自分が許せればそれでいいの。自分が許せるってことはつまり、神様がお許しになってるってことなんだから。

それ、なんだか矛盾していない?でも猫がそう言うのならそういうものかもしれない。なんたって猫は九回すべての人生を記憶している猫だから。(猫にそう言ったら、そんなの全然すごいことじゃないわよ、すごい、ってそういうことじゃないのよと叱られてしまうだろう)

同じテーブルについて、猫のなめらかな毛並みと明るい月のような瞳を眺めながら、ラベンダー・クッキーを食べ、お茶を飲み、話を聞いてもらうと少し元気が出てきた。体の奥底、洞窟のような場所から澄んだ泉が湧くように、パワーがわいてくるのが自分でわかった。

機を織りたい、と強烈に感じた。人々の祈りを縦糸に、想いを横糸にして。闇も光も美しい祈りも血なまぐさい記憶も、すべて織り込んで。

さあ、新しい景色を。