宇宙卵のはなし
お風呂に入ってお腹のあたりを軽くマッサージをしていたら、ふと思いついたことがあった。
女性はみな海を抱えて産まれてくるのだ、となんとなく思っていたが、その海水の中には卵があるのではないか。羊水が胎児を抱えるように、蛇が宇宙卵を産むように。
わたしの抱える卵は鶏卵より少し大きいくらいの、アクアマリンのような水色で、しかしあるときには朝焼けの色に染まり、あるときには雨の森の木々を、満天の星空を写し取った。耳元に近づけると、小さな波音と鯨のなきごえが聞こえてくる。
いつ、なにが生まれるのか、それはわからない。
あるいは“これを抱え守り生きること”が自然のありようなのかもしれない。
すべての女性は海と卵を抱え、そしてそれらはそれぞれの経験やその目で見たもの、耳で聞いたこと、触れたもの、信じていること、好きだと思うこと、愛しているもの、愛したいと思うものによって変化する。望めば「育む」ことができる。
卵は殻の内側に宇宙を孕み、時に“そのもの”になる。
女性はそういうものをお腹に抱えているのだと感じた。
(男性は肉体の内側すべてが宇宙であると感じるけど、どうだろう?)
すべては想像に過ぎないけれど、自分が抱える卵/世界のことを考えるのは楽しい。
皆様もぜひ想像してみてほしい。自分がお腹の内側にどんな美しい卵を抱えて生きているのか。それは何色で、大きさはどれくらいか、どんな景色を写し、どんな音色が響いてくるのか。いつ、なにが生まれるのか、それとも生まれないのか。どのように変化していくのか。
それは世界、それは宇宙、それは花の種、それは木の実、それは宝石の欠片、それは水を入れた硝子の器、火を守る鳥籠――。