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world

家と庭(とその周り)で完結してしまうなんて、そんなこと許せないような気がしていたけれど、家と庭の中って見方によってはほんとうに広くて、ひとつの森と宇宙があって、エミリー・ディキンソンもこういう気持ちだったのかもしれない、とふと思った。

広い世界を見に行かなければいけないと思っていた。海を飛び越えて、もっと遠くへ。

でもいまはここで、遠方を見る方法がわかってきたから、「そこ」に行けなくたってだいじょうぶな気がする。

もっと「ここ」を豊かにして、自分を豊かにしていくこと。
同時に透明に空っぽにしていくこと。
「何者でもないもの」「自分ではないもの」に還っていくと思うと少しこわいので、「光」になり、還るのだ、と思うこと。最も安心できる場所へ帰ること。

どんどん「光」に近づいていくこと。同時にいまこの瞬間も「光」であること。
あなたも、わたしも、すべてのいのちが。

そして「光」は「闇」でもあること。彼らはちいさなこどものように手を繋いでる、と思うといいかもしれない。
「闇」と、「くらやみ」。
わたしの抱える海に似たものたち。