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大阪北部地震は怖かった

昨夜は大きな地震があったようですね。

ちなみにこのお話は、地震のお話満載になっています。警戒する事にやや疲れている人にはあまりお勧めしません。
体調と相談しつつ、お読みくださるようお願いいたします。

わたくし自信も、このNoteが書き終わったら、通常運行に戻るつもりです。
どんなに恐ろしい時間でも、いつもと変わらないTLがTwitterの中にある。それだけで、とても救われるものでしょうから。


幸い、昨日の地震は我が家はさほど揺れず、被害らしい被害はありませんでした。

けれども、やっぱりこんな大きな地震があると思い出すのは、2011年の311ですとか、2016年の熊本地震も未だ記憶に新しいと感じる人は多いでしょう。

特に熊本地震では震度7の揺れがあり、余震に注意を呼び掛ける中、二度目の震度7の揺れが起き、被害が拡大した事で人々を震撼させました。
誰もがなんとなーく、震度が7もあればそれが本震だと思っていましたし、余震はそれよりも小さな、おそらく震度4以下の地震がダラダラと続いてゆくと、そのように思っていた事でしょう。

震度7に耐えられるよう設計された耐震性の強い家屋も、さすがに二度の震度7を想定しなかった物も多かったようです。

大きい地震があったら、それが前震である事に留意せよ、との意識は、この時期に生まれたように思います。


さらにそれから2年後の2018年。私の住む大阪でも、大きな地震が発生します。大阪北部地震です。


私の人生有数のラッキーな出来事があるとしたら、まさにこの時だったと言えるでしょう。丁度仕事をやめ、有休消化期間にさしかかって数日が経過した日の事でした。

その日私と娘は、なんせお仕事がないものですから、まだのんびりと眠っておりました。
目をさましたのは、ベランダの窓が大きな音を立ててガタガタと震えだした時でした。

気が付くと私は、娘に覆いかぶさって腹の脇に抱き込んでいました。母性本能ってすげえですね。

幸いにも我が家は大した被害もなく、強いて言えば花瓶が倒れていたり、水槽の水がこぼれていたぐらいでした。

ただ、それを掃除しながらどこかで、地震の後を片付けるってこういう事なんだ、と思いました。

普段生活をしていて家を汚すのって、ほとんどがそこに住んでいる人間です。

食器を落として割るのなら、それはきっと使った人の不注意ですし
水槽の水をこぼすのなら、水替えをした人の不注意です。

後片付けをしなくてはいけないのも、そのほとんどが、仕方のない事です。

けれども今だけは、誰の不注意でもありません。誰でもない、誰の責任でもないものに家を汚されて、その後片付けをしなくてはいけない理不尽さ。
もしかしたら、この理不尽に取られる作業時間こそが、災害の本質なのかもしれないと思いました。

この時我が家は軽く水槽の水を拭き取るだけで終わりましたが、過去の災害を見れば、家の中にまで土砂が流れ込んでそれを掻き出さなければならなかった人、住めるかどうか怪しい程度に家が壊れたり崩れたりした人、津波で家の流されてしまった人。

あの人達は、きっと今の私と同じように、ひとつずつ、コツコツコツコツと家を掃除したり、もしくは時間をかけて、保険屋さんや修理屋さんと相談して継続して住めるかをじっくり調べたり、新しい住処を探したりしたのでしょう。

皆さんの学校の図書室には、「はだしのゲン」はありましたか?

被爆者である中沢啓治さんが自分の被爆体験をもとに、広島の原爆投下時の様子を描いた漫画で、全10巻が刊行されています。

実はこの漫画、作中で原爆が投下されたのは1巻の終わりごろになります。それから2巻~10巻までの9冊をかけて、原爆投下直後からその後の復興に重きを置いて描写される。そういう作品になっています。

当時の私はこれがとても疑問で、原爆の被爆を描きたいのに、どうして被爆の話は全体の10分の1しかないんだろう?と思いました。

もちろん週刊連載だった事もあるとは思います。

しかしそれ以上におそらく、こういった大きく悲しい出来事を経験した人にとって、それが起きた瞬間というのはさほど比重の大きな事でなく、

その後にどのようにして平和な生活に戻り、それを獲得して行ったかが最も重要なのではないかと思います。


話は、大阪北部地震に戻ります。

311も大阪北部地震を知る我々にとって、1つの地震はあくまで始まり。そう捉えるべきである事は明白です。

まずは急いでお風呂に水を溜めました。

次にこぼれた水槽の水を軽く拭き上げた後、いつもと同じように朝食をとり、着替えを済ませました。

もちろん今この瞬間も、もしかしたら震度7の揺れが起きるかも知れません。不安とかそういう話でなく、ただの事実です。

何かが起こる前にと、そのまま最寄りのスーパーへ水などの買い出しへ行きました。人が異様に少なかった事を覚えています。

いつもと同じように、おばあちゃんたちが普段の買い物をする中、2リットルの水を箱で買っている若い女性を見かけました。

いつもにこやかなレジのおばちゃん達は、どこか堅苦しく、押し黙ったような空気があるように見えました。
ああそうか。あの揺れを経験したのは私だけではないんだと、奇妙な一体感を感じた事を覚えています。

それから約一週間ほどは、単純な不安との闘いでした。

幸い子供と二人で家に居られたので、万が一の時にはとても動きやすいという事は大きな安心でした。

しかし一方、暇というのは非常に不安と相性がいいらしく、時間があればあるほど、今この瞬間にも大きな揺れが襲って来るのではないかと不安になります。

そんな不安を紛らわせてくれたのは、大きく1つはTwitterでした。

推しの最近の活動が尊いだとかなんとか叫ぶ人だとか、仕事いきたくないとかお腹痛いとか、ゲームの進捗がどうだとか。

いつもと変わらないツイートがあるだけで、なんだかものすごく安心する事ができました。

なのであれから思います。もしも大きな災害が起きたら、そんな時こそ、いつものように思いっきり自分の趣味を楽しんでほしいと思います。


次にありがたいと思ったのは、311を経験した東北出身の友人達でした。あの地域の人たちは、いつ揺れるか分からない恐怖をよく知っていらっしゃいます。

どーしても不安を紛らわせたいよぉぉぉぉと泣きわめていた私と通話をつなぎ、取り留めのない話をしてくれた事、今でもすごく感謝しています。


中でも興味深いと思ったのは、「全然怖くなんてなかったけど?」とツイートしているフォロワーでした。

「学校で女子が怖いって泣いてたけど、全然じゃね?」なんて事を書いています。

あー確かに、子供が生まれるまでは私もそう思ってたなー。
ほら、例えて言うならね。台風とか来ると、なんかテンション上がっちゃう事ってあるじゃないですか。不謹慎だけど。
だからどこか地震に対しても、地球に乗るタイプのアトラクションくらいに思っていた所があるような気がします。

けどね。子供が居ると、中々そうは行かないものです。
食べ物が手に入らないなら耐えればいいとか、喉が渇いたら極限まで我慢してみようとか、そんなチャレンジ精神を持てるのは、自分だけが我慢すればいいからです。

子供の「のどがかわいた~」とか「おなかすいた~」そんなたわいもない、いつもなら「はいはい。ちょっとまっててね」で済ませられるようなお願いも、きけなくなってしまうかも知れない。我慢させてしまうかもしれない。

それが何よりつらいのです。


今回のNoteは、何が伝えたいとか、何かお願いしたいとか、そういう意図はありません。

ただの吐き出しに近いです。

どうか今後一週間を、皆さまが無事に 平和に暮らせますように


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