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心を封印するだけで人は容易にチカラを奪われる


私はずっと
「心を閉じてきた」
そう思う。

他人を優先
それが優しさ
それが思いやり

それが
当たり前として
刷り込まれて来なかった?

小学校の頃なんか
誰かが転んで
擦りむいてたらさ

女子は群がっていって
「大丈夫〜?」
の大合唱。

そんなに大勢で取り囲んだところで
キズが治るわけでもなし、
その上
恥ずかしさも増すやろ。

そういう時は
私は「我関せず」や

私は
そういう自分を
「冷たい人間」だと
思っていた

だって
そういう時は
「大丈夫〜?」って
寄っていくのが
「普通」なんだもの。

私は「普通」じゃない

そう思っていた

私はイビツで
優しくもない

だから
イビツじゃなくなるように
普通になるように
頑張らないといけない

それが
社会に適応するということ
社会性を身につけるということ

大人になる、とも言えるだろうけど
私の場合は
「人」になりたかった。

努力しなくても
自然に
「大丈夫〜?」
って言える人………………?

それは違うな

イビツさを否定しまくっていたから
自分の悪いところを出さないように
したし

それが当たり前で
みんなやっていることで
常識というやつで
みんな同じ大きさの
正方形になることが
世の中の正義だと
本気で思っていたから

私も正しく在らねばと
悪いところなんてない
と思って
生きようとしてきた

実際は悪いところも
あったんだろうけど
みんな
蓋をしたり
見ないフリをしたんだろう

そんなのあったら
はじかれる
そんなのあったら
ダメ人間

自分で自分を
どんどん
小さな箱の中へ
閉じ込めた

そんなことさえ
最近まで
気付いていなかった

そりゃ
違和感だらけだし
言いたいことも
言えないわけだ。

陰陽あって当たり前
両方あっていい
両輪あるから
真っ直ぐ進める

明日への希望が膨らめば
何だか不安にもなることは
両輪だから
当たり前

ちゃんとした自分も
ちゃんとしてない自分も
両方ともが
「私」だと
今なら言える。

私はやっと
自由になれた

力を奪われる理由なんて
これっぽっちもない

これからは
私の人生を生きる
やっと生きられる

閉じ込めたのは
自分なのだけれど

この理不尽さを
もう誰も味わう必要はない

少しでも
何かの役に立つのなら

伝えていきたい

そう思っている

今日も
ありがとうございます。


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