見出し画像

図書館ですら明るすぎる

 先日、知り合いから「家では勉強に集中できない」という相談を受けた。月並みな悩み、それには月並みな回答が相応しいという事で、私は「図書館とかでやったら?」というアドバイスをした。
 もうこの世で何度繰り返されたかも分からない会話だろう。だが、よくよく考えてみるとおかしな話でもある。本来、本を読む場である図書館が勉強するための場として一番に上がってくるなんて。
 そんなことを考えていたら、ふと大学時代のことを思いだした。当時の私はよく図書館の書庫に通っていた。理由はもちろん、貴重な郷土資料を読むため……などではなく、人がいなくてジメジメしているからだ。
 地上は、いくら静かだと言っても、少々まとも過ぎた。将来のため、試験のために机に向かう人ばかりで、私のようになんとなく適当な本を手に取ろうなどとウロチョロしている人間はほとんど見られない。なんなら、友達同士や恋人同士でレポート用の本を貸し借りしている人間もいる始末だ。
 当時の私はそれを目の当たりにするのが嫌で地下に潜った。電波も届かず、グラグラする安い椅子以外に腰を落ち着けられる物もない書庫は本当に静かだったのを覚えている。そして心地よかった。
 立ち並ぶ本の最奥、ひっそりと並ぶ郷土資料の棚の横にある粗末な机と椅子のセット、それが空きコマにおける私の定位置。そこで私はいつも本を読んでいた。統一性のない、バラバラなジャンルを積み上げて。
 その頃の精神性が今の私にも残っているのかもしれない。だから、図書館に人が多いことがあんなにも嫌なのだと思う。ああ、私たちには図書館ですら明るすぎる。
 久しぶりに地元に帰りたくなってきた。田舎の本と埃しかない図書館で心行くまで深呼吸したいぜ。清浄されていない空気にこそ、文学とやらが潜んでいるような気がしないでもないしな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?