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尊敬と恋愛

 人間同士の感情において、【尊敬】に勝るものはないと、私は頑なに信じている。恋愛、家族愛、博愛、世の中で尊いとされる気持ちも色々あるが、どれも私にとっては95点でしかない。
 この感覚がマイノリティーであるという自覚はある。もし学校の恩師と家族、両方が崖にぶら下がっていてどちらかしか助けられないとしたら、後者を選ぶのが一般的だろうしね。実際にその場面が来ることはまずないだろから正確には分からないけれど、たぶん私はその時が来たら尊敬できる恩師のような人を選んでしまうような気がする。
 なぜこんなことを思うようになったのか、簡単に理由を言えば、それは恐らく家族も恋愛ごともあまり好きではないからだと思う。大嫌いという訳ではなく、ただ薄っすら。都合が悪いことがあるとすぐにキレて誤魔化したり、被害者意識が強く自分が施しを受けるのが当然だ、と考えているのが特にね。
 後、にわかにギスギスしている家庭の癖に、いっちょ前に存続しているのもそれはそれで嫌だった。現実的に離婚でもされたら困るのはこっちなんだけど、愛が消えてもその場所だけが残るのはなんだか気持ち悪いなと思ったことは覚えている。永遠の愛の幻想はサンタのすぐ後に消えてなくなった。
 どうやら私は、想いは永遠であれと思い込んでいる節があるらしい。だから、【尊敬】が最上であると妄信している。【尊敬】は恋愛などの感情に比べると更新されにくいからね、それが良いんだ。誰かを尊敬した時、それが消え失せたり裏返る瞬間は体験したくないし、見たくもない。
 現実はいつだって流動的で、一度感じた想いも変わり得るし変わるべきなのは分かっているんだけど、人の心だけは市場のように移ろって欲しくはないなんて、子供のようなことを言いたくなる。
 そんなことを、今日「かぐや様は告らせたい」を読み返していたら、ふと思った。この作品は良い。美しい人間、尊敬できる人間が沢山登場し、その人間同士が恋愛をしてくれる。至高のラブコメの一つだ。
 ああ、現実もこうだったらいいんだけどな。きっとその場合、少子化で人類は滅亡するんだろうけど、そういう終わりは中々悪くない気もするしね。 


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