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子供時代と火と破壊

 今年に入ってから煙草を吸うようになった。一日におおよそ2~3本。銘柄もころころ変えて適当に楽しんでいる。1本あたりだいたい25円、駄菓子を買うような気分だ。
 正直、そんなに気持ちよくもないし楽しくもない。巷で言われているような「ヤニ吸ってなきゃどうしようもない」みたいな気分には全然ならない。ついつい珈琲を飲んでしまうとの同じでただの手癖。たいして美味しくもないのに毎日にやるのも珈琲と一緒だ。
 ただ、物に火がついて、それが燃えていく様を見られるのは楽しいかもしれない。子供時代、棚の下にしまわれていたマッチを親に黙って擦った時と同じ高揚感だ。わざわざコップ一杯の水を用意して、ティッシュを燃やしてキャッキャしてたのが思い出されます。基本、午後は母親が家にいるから、学校を休まないとできないのが、なおのこと背徳感があって良かったなぁ…
 今の喫煙という行為もそんな延長線上にあるように思える。自らに対する破壊衝動、退廃を気取る自己陶酔、世間の締め付けに対するレジスタンス、とそんな感じ。なんにせよ、まるで成長していない。安西先生も呆れ顔だ。
 こんな文章を書いていたら少しイライラしてきた。気分転換も兼ねてヤニを吸う。インスタントな100円ライターから迸る炎が黒い煙草の先端を燃やして、チリチリという音をさせる。勢いよく息を吸い込むと、なんとも言えない味の煙がニコチンとタールを引き連れてやってきた。不健康の味に少し酔う。
 人生100年時代なんて絶望に負けないように、毎日少しでも寿命を短くできれば幸いだ。

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