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回想:才能至上主義

 注目の作品「学園アイドルマスター」がサービスを開始したため、私も早速プレイを始めた。二回程プロデュースを回して、気になっている方の雰囲気をチェック。久しぶりのアイマス、夢と青春の香りが心地よくて今後もしばらくはプレイさせて頂くことになりそうだなと思った。
 ……と、このまま学マスの感想を垂れ流してもいいのだが、今日の本題はそちらではない。タイトルにつけた通り「才能」にまつわる思い出の話だ。
 あれはそう、高専生時代の頃。当時の私はまさに「才能至上主義者」だった。ありとあらゆることは「才能」や「家柄」などで決まり、「努力」をしたとしても超えられない壁がある。だから、人は才能がある事をすべき。そんなことばかり考えていた。
 今思うとスポコン漫画の悪役みたいな思想だな、といっそ笑えても来るのだが、その頃の私は結構ガチでこの考えを信じていたのだ。親の前でわざわざ語るくらいにはね……
 無論、こんな痛い黒歴史を製造していたからには、それなりの理由がある。まあ、ただ単に勉強がそれなりにできて、代わりに部活では下級生に負ける程ボロボロで実家が多少貧乏だった、という面白くもない話ですけど。
ああ、後加えるならば、自分以外の家族全員は勉強が苦手だったのに、自分だけは成績優秀だったのも理由の一つかな。主人公や悪役になれるほどのスペクタクルも悲劇もないので詳細は割愛しますが。
 とにかく、そんなわけで私は「才能至上主義者」になったのだ。9年間、全力とは言えないものの真面目にやってきたバスケでメタメタ負けることや、友達の家に行くと綺麗な部屋に大きな学習机があることを飲み込むにはそうせざるを得なかった。どこか別の場所で勝利しておかなければ、思春期の小さな心の均衡は保てなかったのだ。

 『篠澤 広』さんのシナリオを読んでいたら、ふとそんなことを思いだした。多分、彼女があまりにも強いからだと思う。才能を言い訳にすらさせてくれない圧倒的な輝きは淀んだ眼にはいささか眩しすぎるのかもしれない。

 まだほとんどコミュを読んでいない状態だが、恐らく彼女は担当の一人になるだろう。なんたって私は顔色の悪い美少女が大好きだからね!
 高専時代から数えておよそ10年、成長したのか性癖がねじ曲がったのか分からないところではあるけれど、彼女を好きでいられるようになったのはきっと良いことだと思う。


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