人間性とモル濃度
2024年現在、私は27歳なわけだが、未だにライトノベルを読み続けている。過去作はもちろん、2024年から刊行が始まったような作品まで幅広くだ。漫画やアニメは見るが、やはり文章でなければ摂取できない栄養という物もあるし、さらにその上で萌え萌え美少女の活躍を楽しみたいのなら、やはりライトノベルを読むしかない。
こういう言い方をすると、嫌々読んでいるように聞こえてしまうかもしれないがそんなことはなく、ちゃんと楽しんでいる。ただ、オタク界隈としては結構ニッチな趣味になってしまったのか、リアルな友人(そもそも少ないが)で話が合う人がまずいないのは少し悲しい。昔だったら、バカテス、生存、ハルヒ、SAO、とある等々で盛り上がれたんですけどね……
無論、ネットに目を向ければ趣味が合う同士なんて山のようにいるのだろう。だが、ネットで誰かと趣味の話をすることに個人的に抵抗感がある。なんとなく、共有することがメインの目的になってしまいそうで怖いのだ。
別に昨今のSNS社会を否定しているわけではない。ただ、オタクとしての誇り、あるいは染みついた逆張り精神が安易な迎合を許してくれないだけだ。みんなと同じ作品を見て、みんなと同じような感想を抱くことに。
だからでしょうか、リアルだけでなくネットでも友達が少ないのは。一生ROM専の一方通行、友達が減ることはあっても増えることはありません。自分で言ってて辛くなる。ヤンナルネ。
こういう時、私はいつも尊敬する「阿良々木暦」氏のこの言葉を思い出す。『能動的孤独』とは実にいい言葉です。自分を正当化するには。
結局のところ、彼も様々な友人と出会い、人間強度を下げていくわけですが、果たして幸せなのはどちらだったのでしょうか?
人間が持てる物質量は有限で、他人と共有し他人を受け入れていけば行くほどその濃度は減っていく。文系の皆様が嫌いなモル濃度と同じように。決してその総量が減じているわけではないけれど、密度が薄まっているのは事実だと思う。それが私にはどうしても耐え難い。自分が漂白されているような感覚がしてしまって。でもやっぱり、孤独はさびしいよ~!
早く自分に色を付けて、他人を受け入れても希釈されない確固たる存在になりたいものですね。
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