「ずぼらのメガネ」メンバーのもりみーです。
1.なぜ「ずぼらのメガネ」に入ろうと思ったのか。
初めまして。「ずぼらのメガネ」メンバーのもりみーです。ここでは、私が「ずぼらのメガネ」に入った経緯と私の自己紹介をしていきたいと思います。
まず、私が「ずぼらのメガネ」に誘われたのは代表のRieと鬼怒川の足湯に入っている時でした。
「ずぼらな人を物や仕組みで生きやすくしたい。そんな団体を作って活動しようと思ってる」
多分こんなセリフだったと思います。
このセリフを聞いて私はシンプルに良いなと思いました。
自分を律することができる人はカッコいい。
でも、自分を律することにものすごく労力を割かなければならない人がいる。
そんな人が物や仕組みで生きやすくなれば、要らないストレスは減るし、生産性も上がるし、周囲の人もそれで恩恵を受けることができる。
そのことを漠然と理解はしていたものの、行動に移すなんて考えてもみなかった私にとってRieからのお誘いはとても魅力的なものでした。
ずぼらの生きやすい社会を見てみたいし、作ってみたい。
そんな気持ちで私は、足湯に浸かり湯気が立ち込める鬼怒川の景色を眺めながら、
「興味あるから、団体が始動したら声かけて。」
と、返答し、「ずぼらのメガネ。」に参加しました。
2.私のずぼらさについて
「ずぼらでも生きやすい社会になったらいいなあ。」と考える私は、もちろんずぼらな人間です。
私のずぼらタイプを表現するなら、他人の目に映るところはちゃんとしてる「外面良さげずぼら」です。
他人の目をとても気にするので、提出物はきちんと出します。基本的に遅刻してはいけない場面では、絶対に遅れません。LINEの返信も早いです。
ただ、いつもギリギリです。
提出日に図書館に籠ってレポートを書き上げたり、徹夜したり。
家を出るまでの時間を逆算してぎりぎりまで寝ていたりと。
これらに共通しているのは、やらなければならないことは分かっているし、その見通しも立っているけれど、動き出しが常に遅いというところです。
動き出せれば準備は早いのですが、その最初の一歩を踏み出すのが遅い。
これは私の生活面においても同じことが言えます。
私は一人暮らしをしているので、部屋の掃除も、ゴミ捨ても、皿洗いも洗濯も全部自分でやる必要があります。
なので、私の部屋は人が生活できるギリギリのラインを行ったり来たりしています。
友達が家に遊びに来るといった予定がないと部屋を掃除する最初の一歩が踏み出されません。
ゴミ捨てもごみ収集日にゴミを捨てるというより、ゴミ袋がパンパンになったから次のごみ収集日に捨てようかという感じです。
(そして大体忘れて次の次くらいになります)
お皿洗いや洗濯も使えるものが無くなるまで洗うのを先延ばしにする始末……
これだけ読むと、ただのずぼら自慢……?と感じられると思います。
自覚しているのに変えないのなら、それに満足してるんでしょ?と。
たしかに、これでいいやと思っている人なら問題はありません。
ここで問題なのは、実は私が他人の目を気にしていること。「普通になりたい」という思いの強い、「理想の高いずぼら」だということです。
提出物ももっと早くから準備しておけば、もっとレベルの高いものを提出できたのではないかと自分の意識の低さに嫌になります。
母親が専業主婦だったので、実家はいつも部屋が綺麗で、洗っていないお皿が積まれていることなんてありませんでした。
それが私の中で“普通”で“理想”なので、今の生活との落差に失望します。
つまり、ずぼらな生活を送っているのは自分であるにも関わらず、そんな自分に辟易し、ストレスを感じているのもまた事実なのです。
また、ずぼらな生活は精神面に悪影響を与えるだけでなく、部屋が汚れていることや、家を出るまでに時間がかかることで自分の生産性も下げます。
悪循環の生活を少しでも変えたい。
頑張って自分を律するだけじゃなくて、仕組みを整えるような方向で努力してみたい。
こんな性格の私なので、他の人が聞いたらそんなのあなたが怠惰なだけでは?と言われるようなことでも否定しません。
むしろ全力で「分かるーーー!!」と同意します。
それでも。『自分を変える』のは難しいです。
なので、どうやったら生きやすくなるか対症療法を探しませんか?
それで少しでもストレスが軽減されたら幸いです。
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