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“名前”について思うこと

いつも私のnote記事にスキしてくださる皆様、本当にありがとうございます。
今回は“名前”に関して思ったことを書いてみようと思います。

何で“名前”について考えたか

私が何でこんなことを考えたかというと、私の本名の“名字”が現在住んでいる岡山県内でも割と珍しい名字なのがきっかけだからです。
ここで本名を書くわけにはいけないので…とりあえず私の本名がわりかし珍しいことだけを覚えておいてください。

自分の“珍しめの名字”関連で起きた今までの珍事

次に名字のせいで経験した色々なことを書きます。

・偶然引っ越した先のお向かいに偶然同じ名字の家があった

私は小学校低学年の頃まで祖父母の家に母と一緒に住んでいて、高学年の頃になった時に学校に通いやすくするために当時通っていた小学校のある地域に母と一緒に引っ越しました。
その時に引っ越した先の地域にいたのが“同じ名字の親戚でも何でもない全くの赤の他人の知らないご家族”でした。
小学生の頃は特に気にしていませんでした。「名前が一緒なんだ」という感じで。
ですが…私が成人するまでの間に“ほんの少しばかりの名前に関する弊害”がありました😅

・家間違えられ、誤配送…etc.

まずお向かいの名前が同じ家の人と間違えられた人が私の家に尋ねてくることがよくありました。その度に私もしくは母が「お向かいと間違えていますよ」と伝えて追い返して(?)いました。(タイパが悪いからすごく嫌でした。)

次に誤配送がよくありました。お向かいの家の人の荷物が私の家に届いたり、私の家に届くはずの荷物がお向かいに届いたり…そんなことがよくありました😅
私もしくは母が気づいてお向かいに届けたり、逆にお向かいが気づいて私の家に届けてくれたりという感じで対処していましたが…ある日の、私が1人暮らしを初めて1年ぐらい経った頃に「配達員、てめぇふざけんなよ」という我慢の限界がやってきました。

その時私は母のいる実家に帰省しており、母から「某Amazonで注文したものが置き配で届くから中に入れておいてほしい」と頼まれました。お昼ぐらいになった時に母からLINEで「届いたみたいだよ」と知らされて私は玄関の前を見に行きました。
…見に行きましたが、玄関先に件の荷物はありませんでした。
おかしいなと思って母に「無かったよ」とLINEで伝えました。無かったことを伝えたのと同時に「置き配の「ちゃんと配達しましたよ」の証拠画像があるじゃない、それのスクショを見せてもらえる?」とも伝えました。
数分後ぐらいにそのスクショが送られてきました。

確認してみると画像の中の私の母が注文した荷物の周りの風景が“明らかに”実家のものとは違っていました。扉の色も壁の色も全く違っていました。

私はスクショを見ながらあることに気づきました。「あれ?ここってもしかしてお向かいの家じゃない?」と。
そうです…母の荷物が誤配された先が、親戚でも何でもなくて苗字が同じのお向かいの家だったのです。
私はすぐにこのことを母に伝えて対処してもらいました。(注文した本人じゃないと対処ができないらしい。本人確認の関係上。)
対処してもらった後は無事に実家の方にきちんと荷物が届きました。配達員の方からの謝罪もありました。(内心ちょっとだけその配達員の方を嘲笑していました。そして同じ名字のお向かいのことを恨みました😅)

・自己紹介すると“名前を珍しがられる”

初めて会った人たちに自己紹介で自分の名前を伝えた時にものすごく珍しがられます。私にとっては自分の名前が当たり前だったので「どうしてこんなに珍しがられるのか理解できない」と思っていました。
珍しがられるのと同時によくからかわれてもいました。特に小学生、中学生の頃。
まあ…陳腐で愚かな内容の揶揄だったので今は気にしていません😅

・聞き間違えられる

自己紹介をすると珍しがられるのと同時によく聞き間違えられます。
…聞き間違えられるのが1番ムカつきます😅
ちゃんと聞き取れないんだったらその耳切り落としてその辺に捨てたら?要らないでしょう?と思います👂

正直自分の名前が嫌いで仕方がない

今まで名前に関してさまざまなことがあったので、実を言うと自分の名前が嫌いです。改名することを考えたことがあるくらいです。
ですが改名はしていません。(だって法律上の色々な手続きが面倒くさいんだもの…)
キラキラネームじゃないからいいかな😅

最後に

これを読んでくださった皆様は自分の名前は好きですか?それとも嫌いですか?
私は今は自分の名前に対して「どっちでもいいかな」という気持ちです。
大人になってから私の名前を侮辱する人はさすがにいないのでもう気にしなくなりました。
でもやっぱり苗字だけは嫌いです。

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