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《読書日記》【推し、燃ゆ】宇佐見りん

《あらすじ》

 推し。それは人生。
 ある日、推しが燃えた。自分の全てを捧げるほどにあたしが〝推す〟彼は、ファンを殴ってしまった。縋りついていたたった一筋の光が消えた時、あたしはどうやって生きていったらいいのだろうか。途方に暮れている間にも、世界は回る。
 どこまでも不器用で、どうしようもなく脆弱で、未来なんかどうでもよくて・・・。真っ暗闇のような〝現代(イマ)〟を這いつくばって生きるあたしのこの想いは、痛々しくも切ない、新時代の愛なのかもしれない。
 現代の若者たちが作り出した、新しいカタチの情熱と幸福を圧倒的熱量で描いた、第百六十四回芥川賞受賞作。
 


 《溢れ出るエネルギー・未知との遭遇》

 圧倒的熱量。この物語からは、とてつもないエネルギーを感じる。
 それは主人公が、〝崖っぷち〟のような彼女の世界を這いつくばってどうにかして生きる切実な姿のせいなのか、常人から見たら過剰に見える(かもしれない)、〝推し〟への様々な想いや強めの思想から来ているのか、あるいはシンプルに宇佐見りんの筆力が素晴らしいのか…可能性を上げればキリがないが、とにかく、本作は平常心では読むことのできない現代の劇薬小説だと言える。
 未知との遭遇のような気持ちがした。今まで見たことのない、触れたことのない、感じたことのない感情や思想が、ここにある。本作の主人公の〝推し〟に対する想いや思想はかなり強烈で、理解できない人も多いだろう。しかしそれらが嫌悪感や疑問、反発を生み出すのは、それが〝新しいものだから〟に他ならなくて、それ自体は悪ではない。目の前に突きつけられる、現代に確かに存在している〝新時代の愛のカタチ〟に貴方は何を思うだろうか。
 
 

《推しのいない人生は余生》

推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。

【推し、燃ゆ】P.112より

推すことはあたしの手立てだった。業だった。

【推し、燃ゆ】p.108より

 例えば彼女は〝推しのいない人生は余生〟だと言う。
 日々利用しているSNSやその他の情報ツールで頻繁に目にするようになった〝推し活〟をする人たちを思い浮かべる。思い返せば、私自身にも観たアニメの中に〝推し〟のようなキャラクターがいたこともあった。しかし、その気持ちが、他のどんなことよりも優先される気持ちであり、他人の活動を応援するということが自分の人生とイコールになる、という状態は、現代ではかなり当たり前にあることのようで、その事実はかなりセンセーショナルである。
また、彼女は自分の推しへの想いは〝業〟であるとも言っている。〝業〟とはまた、言葉選びがかなり強烈だなと感じたが、彼女がそう言う理由は、〝推し〟やその活動に依存し、その結果、一般化されたそれ以外の、人生における〝大切なもの〟から目を背けていると感じているからだと思う。現実逃避は確かにどの時代にも様々存在したが、自分の気持ちを(恋愛・友情など)以外の方法で、他人に依存することで昇華させ、表現する逃避の仕方はどうしても理解されにくい。
 
 

《生きづらさの理由・逃げ場のない地獄》

 推しを推すこと以外ままならないというところで、彼女は自分自身を非常に悲観的に見ている。先述のように、勉強、バイト、友達との関係、恋愛、結婚、趣味・・・人生には様々な〝一般化された〟幸福・大切なものが存在している。それらが全くできない彼女は、自分が周りと逆行していると感じている。新しいことというのは、いつだって世の中に受け入れづらい。そして世の中に受け入れられないという状況が劣等感を生み出す。恐らく、こうした方がいい、ああした方がいい、そんな理想像は心のどこかにある。しかしそれから見事に外れている自分に生きづらさを感じている。自分はおかしいという考えが、いつでも心のどこかに纏わりついている。だからといって他の方法では、自分は表現できないし、幸福を感じない。暗く、痛々しいが、私は彼女をとても自分に正直な人物だと感じる。しかし彼女がいる場所は、〝逃げ場のない地獄〟だ。
 宇佐見りんはこのような、〝逃げ場のない地獄〟を描くのが上手い。読み手のこちらは読んでいる間まるで、首を絞められているように苦しくなる。著者はそれくらいに切羽詰まった地獄を描く。しかしその地獄は、確かに現代を生きる私たちの心の中に存在している地獄であり、リアルで核心をついている。

《距離感・無償の愛》

 そもそも、〝推し〟の定義とは何か。

推し:〝推しメン〟の略。アイドルやアニメなど、その中で最も好きな人、モノを示す。〝推薦する〟の〝推〟という字より、他に進めたいくらいに好きという意味もある。

単なる〝好き〟と何が異なるのかというと、ポイントとなるのは距離感なのだという。本書の主人公はアイドルを推しとしているが、もちろんそこにはテレビやステージなどの〝へだたり〟が存在している。彼女はそんな距離感に優しさを見出している。
 昨今、人間関係に悩んでいる人は多い。そこには直接関わるからこその摩擦や衝突が生まれる。つまりその距離というのは優しさで、〝優しい人間関係〟という構図が生まれる。相手によって自分が傷ついたり、自分が相手を傷つけたりする心配のない関係だ。そして、自分が相手を想い続ける限り、決して壊れることのない関係だ。
 人間という生き物は、何にでも見返りを求めがちである。この主人公の推しを想う気持ちは、いわば見返りを求めない無償の愛に近いものがあるように感じる。一方的な関係性に見えるかもしれないが、彼女はそれで満たされるのだという。親の子に対する無償の愛などは、美化されることが多いが、推しというのは結局他人なので、理解できない人が多いのも頷ける。しかし他人に見返りを求めず、その人を愛すことに何の悪意や障害があるだろうか。彼女に必要なのは、そんな自分の想いを心から承認してくれる誰かだったのかもしれない。

 

何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

【推し、燃ゆ】p.62より


《保証・普遍的な痛み・自分だけの幸せのカタチ》

 推しを推すことの弊害は何か。それは多分、保証がないということだろう。推しといえども一人の人間だし、推しには推しの人生がある。彼らを神格化し、絶対的な存在であると認識したファンは、それを忘れがちで、例えば結婚、交際報道、炎上、引退などで彼らを失うと、突然真っ暗闇に落とされたような気持ちになるだろう。
そんな保証がない関係は、周囲から軽んじられやすい。
推しを推すことに人生を捧げる人にまだまだ世界は優しくないだろう。新しい愛のカタチを形成する人々は、色々な局面で肩身の狭い思いをしたり、うんざりとするような言葉をかけられて、生きづらさを感じているのかもしれない。正直、私自身も本作の主人公の推しに対する強い想いにはあまり共感できなかった。
しかしこの物語の中には、新しい生きづらさの他に、普遍的な痛みがある。本作とは全く異なるフィールドで、私はこの痛みを感じたことがあり、読んだときにそれが共鳴したように思う。他人に理解されない、伝わらない時の諦めや、「自分がおかしいのだろうか…」と静かに自問自答する時の気持ち。手を伸ばしても届かない〝何か〟、自分にはとても追いつくことのできないものへの、果てしない距離を改めて突きつけられた時のような…。本作は新しく未知の衝撃で溢れているのと同時に、描かれている痛みは、推し活をしていない私でも確実に知っている痛みなのだ。
家族や恋人、仕事などに人生を捧げることと、推しを推すことに人生を捧げることは、現時点では同等ではない。信頼関係や安定、保証や見返りに重きを置くように世界はできているから、それに(偶然にも、そして幸運にも)適応している人間は、本作の主人公のような人の気持ちを軽んじるだろう。しかし本書にもあるように、歓声の一部になり、拍手の一部になり、多くのコメントにまぎれることで心が満たされるという種類の人間がこの世界に生まれた。そうではない人が自然に存在しているように、彼らもまた、この世界を生きている。本作を読んで、共感するか、反発や嫌悪感を覚えるか…どのように感じるかはもちろん読み手次第であるが、それで良いのだろう。本作がセンセーショナルで面白く、読み応え抜群なのは間違いない事実であるし、何より、愛や幸せのカタチというのはどの時代も人それぞれで、他人から見たら不幸なことでも、本人にとっては一番の幸せであるのかもしれないのだから。

〇コラム〇


《勝手に評価》
 ★★★★★(星5つ)
  初めての宇佐見りん、最高でした!これを読んでから著者の大ファンです。どの作品も読みごたえがあり大変素晴らしいのでお勧めです。心がヒリヒリするくらいに痛々しいですが、痛みの中にもどこか救いがあり、静かに手を差し伸べられた時のような気持ちになります。
《これもおすすめ!》
「腐女子のつづ井さん」シリーズ
 本作とはだいぶテンションが異なるエッセイ漫画。オタ活や推しを推すことで日々を充実させている、〝つづ井さん〟とゆかいな仲間たちの様子が描かれています。読むと元気になります。
《硝子のヒトリゴト》
 本書を読んで私のこれまでの人生を振り返ってみたところ、確かに以前私にも推しがいました。大人気コンテンツ「うたのプリンスさまっ♪」に登場する、優しい眼鏡の男の子、四ノ宮那月くん。グッズを集めて部屋に飾ったり、アニメやゲームのストーリーに号泣したり…。ちょうどその頃、語学留学中で、あんまり友達もできなくて寂しくて…そんな私を彼は大いに癒してくれていました。今では懐かしい思い出で、たまにツイッターやテレビで那月くんを見かけるとほっこりしますが、彼の存在は確かにあの頃の私の救いだったのだと思います。彼のいない人生は余生…とは思わなかったけれど。
 

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