【BL小説】獣とごはん!!第2話
夢を見ていた。
昔失ったとても大切なものを、もう一度失くす夢だった。
大切なもの。
確かに〝大切な〟はずなのに、それが何かは思い出せない。
悲しく悔しい気持ちはあるのに、実体が掴めない。
腕をいっぱいに伸ばして、空のこぶしを握り締める。
それは羽根のように手をすり抜けて、はるかかなたに消えていった。
頬に冷たさを感じて目を覚ました。
反射的に顔を撫でると、一筋、涙が伝っていた。
乱暴に拭って俺はしばらくベッドの天井を見つめていた。
大切なもの。
何だったのだろう。
思い出せない。
そんなんだから、失ったのかもしれない。
ここまで考えて突然強烈な喉の渇きを感じて、起き上がり、水を取りに行こうとすると、妙にきちんと身なりを整えた男と鉢合わせして、俺はすぐに昨夜のことを思い出した。
俺に臆さず話しかけ、料理を出し、なぜか食卓を共にしたこの男。
改めて観察する。まず思う。
細っせーな。
白いタートルネックにベージュのチノパンツ。黒い髪は綺麗に切りそろえられていて、細い首元はすっきりと刈り上げられている。
大きな瞳に血色が良い唇。白い肌。
驚いたことに、長い指の先は何かを塗っているのか、つやつやと光っていた。
そしてその手には、妙にこじゃれたパステルピンクの…鍋。
「スープ飲む?」
そいつはそう尋ねると、俺が返事をしないうちに鍋をテーブルに置き、中身をカップに注ぎ始めた。
どうしてだ。
どうしてこの男は俺を軽蔑するような〝あの目〟で見ない?
嫌というほど向けられてきた冷ややかな視線。別に何も感じなかったが、事情は十分知っているだろうに、こいつはのんきにも俺にスープ(恐らく手作り)を食べさせようとしている。
そして俺の方も気づけばスプーンを口に運んでいる。
菜の花、アスパラガス、ブロッコリーに、これはレタスか…。
緑色が鮮やかにさえわたる、綺麗に透き通ったスープだった。
それがそのままこいつの印象にピッタリ合うような気がした。
目の前で上品にスプーンを運ぶ男を改めて見つめる。スープの味は優しかったが、俺はこいつのことをまだ何も知らない。
恐らくこいつは俺を知っているだろう。“猛獣”。噂はとどまるところを知らない。
そう考えていたら、意地の悪い気持ちがむくむくと湧いてきた。
馬鹿にしてやるつもりだった。
くだらない。どうせこいつも、離れていくに決まっている。そしてそれは俺の心を少しも動かさない。
要するにこんな男のこと、俺はどうでもいいのだ。
「おまえ、女みてぇだな」
ぱちりと目が合い、その大きな瞳が細まり、彼はどうしてか寂しそうに笑った。
「そうかな」
否定も肯定も、怒ることすらしない反応に、無性にいらいらして、俺は気づけばべらべらと雄弁にしゃべりだしていた。
「勝手に作って勝手に食わせて大きなお世話なんだよ。ふざけんな。迷惑なんだよ」
自分でも驚いた。俺は一体何をそんなにムキになっているのだろうか。
「不快にさせたならごめん。でもみんな僕の大切な一部なんだ」
俺はその時こいつが何を言っているのかわからなかった。それがわかる人間を、憎らしいと思った。イラついた。だからさらに言ってやった。
「悪いけど俺はよ、猛獣って言われてんだぜ。ちょっと頭の血管が切れちまって、相手チームのクソ野郎を再起不能になるまで半殺しにしてやったんだ。お前も知ってんだろ。その細っせえ腕も足もへし折ってやろうか」
そいつはそんな俺の言葉にクスリと笑った。
「どうして君が僕の腕や足を折るんだよ」
「お前俺のこと怖くねえの。のん気にスープなんか作りやがって。知ってんだろ、俺の…」
「知ってるよ」
真っ直ぐな眼差しが、今度は逆に俺の神経を逆なでした。
「でもさあ」
スープカップをことりと置いて、そいつは続けた。
「僕は人に初めて会う時は、その人の心に自分で直接触れたいんだ」
あっけにとられる俺に笑いかけて
「スープもっと飲む?」
と聞いてくる。
「そんな綺麗なもんじゃねえぞ…」
やっとのことでつぶやいた俺にそいつは言った。
「綺麗かどうかは僕が決めるよ。だから君は君のままでいていいんだ」
いたたまれなくなって席を立ち、ベッドに寝転んだ。
やがてがちゃがちゃと音がし始めた。片づけをしているのだろう。
流しに向かう小さな背中をこっそり見つめる。
何なんだあいつは。
氷のように冷え切っていた心が少しだけ温かく感じているのは、スープのせいだ。
そう思うことにして、俺は目を閉じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?