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《読書記録》【あくてえ】山下紘加

《あらすじ》

小説家になりたいという夢をもつ主人公ゆめは、こちらが悔しくなるほどに優しすぎる母親の〝きーちゃん〟と、憎まれ口ばっかり叩く〝ばばあ〟と3人暮らし。人生ってどうしてこんなに苦しいんだろう。生きるために、今日もあたしは〝あくてえ〟をつく。真っ暗な力強さをまとった、負のエネルギー溢れる人生小説。第167回芥川賞候補作品。

《ただ、続く。残酷なのは、その状況そのものよりも〝続く〟こと》

描かれているのは、主人公ゆめと彼女を取り囲む人々の平凡すぎる日常である。ばばあがかんしゃくを起こしたこと。もやがかかったようにほの暗い3人の食卓。彼氏とのデート。ばばあに目薬をさしたこと。もうとっくにうんざりしているけれど、だからと言って変わらない、やめるわけにもいかない、どうすれば現状が良くなるかもわからない。どうしようもない地獄のような日常。終わることのない、永遠に思える時間がこの物語にはじめじめと流れている。

《あくてえは罪だろうか・衝撃的な発見》

人生はつらい。
つらいんだったら逃げたり、隠れたりすればいい…?
そうできないどうしようもないこともあるんだ。

そんな時、なんとか目の前の一日を乗り越えて、次の日を迎えて、それを繰り返して生きながらえていくための知恵が、タイトルにもなっている〝あくてえ〟なのである。
〝ちくしょう〟、〝このやろう〟、〝くそばばあ〟…心の中であくてえをつく。そうしたかったわけじゃない。そうしないと生きていけなかった。こうやって毎日を乗り越えるしかない。人生には、避けられない障害や不幸があって、そこであくてえをつくことで、自分の心を守っていた。

心の中であくてえをつくことは罪だろうか?あるいは口に出すのは…?他人から見たら酷いと思われるかもしれない。でも、当人の苦しみを知らない者
がどうこう言うのはあまりにおかしい。でもなんだか悪いことをしているようなこの気持ちは何だろう。私の中では私こそが被害者で、悪いのは目の前の相手のはずなのに、この罪悪感は何だろう。おかしい。おかしい。

ゆめはあくてえをつく。きーちゃんはおくびにも出さない。どちらが正しいか。私の夫は言っていた。〝きーちゃんも心の中であくてえをついてるはずだよ〟。私には衝撃的な発見だった。ゆめだけじゃない。私だけじゃない。いつも優しいあの人も、穏やかに見えるあの人も、みんなこうしてあくてえをつきながら生きているのかもしれない。

《あくてえ=解決ではない》

哀しいことに、あくてえをついたところで問題は何も解決しないのだ。ただ、壊れそうな心を何とか保つためだけの、小さな小さな手段でしかないのだ。あくてえは、祈りに似ているのかもしれない。
結末を読んだ時、ゆめの人生にも、なぜか自分の人生にも絶望して、ついには神様にあくてえをつきたくなった。

《無慈悲な人生に対する、静かな反乱の炎》

そういえば私もいつも、あくてえをついているな…この物語を読んで気づく。私はそうすることでしか自分の心を保てなかったのだ。避けることのできない、どうしようもない不幸をなんとかやり過ごそうとしていただけなんだ。それでも、悪いことをしている気分になるなんて、本当に人生は、この世界は酷すぎる。だから私はまたあくてえをつく。人生に。この世界に。

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