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《読書日記》【贖罪】湊かなえ

《あらすじ》

 〝空気だけは綺麗な、何もない街〟で突然起きた、少女殺害事件。犯人の顔を見ていたのは、一緒に遊んでいた4人の少女たちだけ。しかし、皆が口をそろえて〝顔を覚えていない〟と言う。被害者の少女の母は4人を集めてこう言い放つ。〝あなたたちを絶対許さない。必ず犯人を見つけなさい。それができないのなら、わたしが納得できる償いをしなさい。〟事件後の4人それぞれの行動と気持ちが織りなす、恐ろしい事件の全貌。殺害された少女だけを取り残し、事件の呪いを背負って成長した4人が紡いだ〝贖罪〟の連鎖の結末は…?

《それぞれの目線でくるくると語られていく、殺人事件とその後の人生》

 物語は田舎町で起こった、エミリという少女が殺された事件を軸に構成されている。語り部は、唯一犯人を目撃している4人。紗英、真紀、由佳、晶子。被害者エミリの母親に、〝償いをしろ〟と言われたことから、4人ともその事件と言葉の呪縛に囚われている。それぞれの特徴と償いに対する姿勢をここにまとめてみる。

紗英→大人しく、内気な少女。エミリは5人の中で〝大人〟だったから殺害されたのだと思い込んでいて、自分も〝大人〟になったら犯人に殺されるのだとおびえ続けている。とある事情により、自分には〝ヒト科のメス〟としての欠陥があると思っている。彼女なりの贖罪は、エミリ殺害と同時期に起きたフランス人形盗難事件に関連アリ。

真紀→〝しっかりしている〟と周囲に言われ続け、使命感を持ってずっとそのように振舞ってきた。当時も5人の中でもリーダー的存在であり、事件が発覚した時も、おろおろしてどうしてよいかわからない皆に彼女が指示を出した。しかしそんな頼れる彼女にも後悔があった。贖罪は、〝立ち向かう〟こと。

晶子→自分自身を〝くま〟と自嘲を込めて表現する、おっとりとしたのんびり屋。劣等感が拭えず、自分のことを低く評価していて、この事件は自分が〝身の丈以上のものを求めてしまった〟から起こったのだと思い込んでいる。贖罪は、身の丈に合った生活をし、とある少女を守ること。

由佳→愛されているという実感が持てずに、いつも心のどこかに淋しさを抱えている少女。自分の家族はエミリではなく自分が殺されればよかったのだと思っている、と感じている。4人の中では唯一、〝償いなんてバカバカしい〟という意見である。

本作はそれぞれの目線や想いを通して、順番に事件について語られていき、思い思いの償いを成し遂げていく…という構成である。こういった語り部が次々に変わっていく物語の魅力は、作中の物事、事実の印象や意味合いが、語る人物によってくるくると変わっていく、というところだろう。その中でもそれが〝幸福か不幸か〟というところが最も著しい例で、ある人の章ではとても幸せそうに見えた人物でも、その本人が語り部になった途端、実はその境遇を不幸だと感じていた、ということがわかったりする。これは、ノンフィクションの世界でもよくあることだろう。自分の周囲のことを重ねて考えてみたら、はっとした気づきがあるかもしれない。ただ、私たちには想像によってしか知ることのできない、他人の真実を全て味わうことができるのは、フィクションの世界ならではのことで、こういった物語を読む醍醐味であるのだろう。

《4人の〝罪〟とは一体何なのか》

贖罪(しょくざい):自分の犯した罪や過失を償うために、善行を積んだり、金品を出したりする、といった行動を指す言葉。罪滅ぼし。罪をあがなうこと。

Weblio辞書より

エミリの母親が4人に背負わせた〝罪〟。それは、エミリの母から事件を捉えた時に発生する、極めて恣意的なものだと思う。我が子を失った悲しみと怒りに任せて、感情的に、そして一方的に4人に〝絶対に許さない〟と言い放つ彼女だが、その時、何の力も持たない小さな少女たちに、一体何ができて、何をすれば正解だったというのか。虚しい事実だが、たとえその時彼女たちが何をしたとしても、エミリの死という事実がひっくり返らない限り、エミリの母は同じ発言をしただろう。要するに彼女は〝4人のうちの誰かが、自分の娘の代わりに殺されなかったこと〟こそが〝罪〟なのだと言っているのではないだろうか。犯人の顔が思い出せないことに腹を立てているのではないのだ。そうだとしたら、とても残酷な仕打ちである。

《最終章での大逆転・無関心の残酷さ》

目撃者4人のそれぞれの章の後、最後に〝とある人物〟の視点で事件が語られる。償いを要求され、人生を事件に縛り付けられた4人の行動がもたらした、恐ろしい〝大逆転〟は何とも見事である。そして、彼女たちが15年もの月日を費やして見つけた〝正しい償い〟の答えは、しっかりと最後に記されているので、是非敬虔な気持ちで見届けてほしい。こじれてしまった事件の事情に対して、それはとてもシンプルな回答なのだが、最後の章で語られる、無関心ということの残酷さに相対するものとして、示されているのではないか。

《読んでも読んでもどこまでも虚しい》

描かれているのは空虚な心。でもその空っぽな心には、実は様々なものが詰まっている。例えば不幸、喪失、愛されるということ、愛されないということ。正義や使命。自分というごまかせない現実。絶対に手に入らないもの。それを見た時の惨めな気持ち。哀しいけれど、そんな空っぽな心同士のどこかがすれ違って起こってしまった残酷な事件の〝数々〟を、絶望にまみれながら読んでみてほしい。

〇コラム〇

《勝手に評価》
★★★★ 星4つ
 数ある湊かなえ作品で個人的ナンバーワンがコレ!イヤミスで良く知られる著者だが、本書は期待を裏切らない〝イヤーな〟読書体験をプレゼントしてくれます。人の数だけ罪があって、償いがある。決してそれは独りよがりではいけない、ということが絶望的な読後感と共に身に沁みました…。
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