小林まゆみ

ステンドグラス職人。ステンドグラス工房Glass in代表。1983年にヨーロッパから…

小林まゆみ

ステンドグラス職人。ステンドグラス工房Glass in代表。1983年にヨーロッパから帰国後工房を設立しました。 昭和生まれです。歩んできた道をボチボチ辿ってみようかと思い始めています。

マガジン

  • 硝子日和

    ガラスと共に暮らすステンドグラス職人が、日常で感じたことを素直に書きました。

  • 川崎クニハル

  • 大谷のカンガルー

  • 室井の山小屋

    映画化して欲しい!!

  • 双葉荘

    心温まる不思議なお話。

最近の記事

指の話の続き

昨年の5月ごろに「指の話」というのを書いて投稿した。その頃よく指がつるという大して面白くもない話だ。それが今回の病気の前兆だったとは…。 昨年は大きな仕事に数ヶ月を費やした。縦全長4メートル。ステンドグラスは4枚の分割で、うち2枚はカップリングという技法で制作した。日本ではまだ2件目というこどもホスピスの施設だ。 一昨年の春、30年以上一緒に仕事をしていた師と仰ぐ職人さんが亡くなり、文字通り右腕を無くした私は今回単独での制作だった。技の伝導というのは師匠がいなくなって初め

    • 我が家のピアノ

      我が家のピアノは購入して半世紀が過ぎている。APOLLO(アポロ)という「東洋ピアノ」製のものだ。たまに高音のシが突然消えるという不思議な現象がおこるが、弾いているうちにまた音が出るのでそのままにしている。 このアポロに関して私は半世紀もの長い間大きな思い違いをしていた。 恥ずかしいけれど…告白しよう。 半世紀以上前のある日、学校から帰ったら家にピアノがあった。親はこのサプライズを私が喜ぶと確信していたに違いない。ところが、私はショックでその場に泣き崩れてしまった。ピアノ

      • 指の話

        最近よく指がつる。中指と薬指が多い。 足はよくつるけれど指は初めてだった。 必ず仕事中だ。 ステンドグラスのパネルの制作には指に力を入れる作業が多いのだ。 これは職業病の一種かと諦めている。治療といっても水分補給とツムラの68番を思い出したように飲むことくらいしか思いつかない。要するに血流が悪いのだと思う。運動不足もあるし、もしかしたら最悪の場合糖尿病からくる神経系の症状かもしれない…などといかようにも悪くとれるのだが、今の所は楽観している。 何か指の運動はないものかと思

        • Ms.

          人類という大きな共同体の基本単位である家族において、出産という重要な役割を担っている女性。彼女達は社会においてもまた確かなアイデンティティを必要としています。 今世紀(20世紀)は女性が個として生きる過渡期でしたから、家族においても社会においても、女性達は既存の概念に囚われずに生きようとして多くのMs.が生まれました。 そして、主婦であるMs.はホームオートメーション化に伴い家事労働から解放されたものの精神的な解放にはいたらず、仕事を持つMs.は社会人として自己を確立しよ

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        • 硝子日和
          8本
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          5本
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          11本
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          10本

        記事

          盗作

          あれは確か母親と暮らし始めた頃だから10歳くらいだったと記憶している。家庭の事情でそれまで祖父母や親せきの家に預けられて育った私は、初めて母親と暮らすことになり少し緊張していたように思う。ご多分に洩れず母は教育熱心で、お誕生日といえば英語の辞書や偉人伝など、子供にはあまりうれしくない本のプレゼントだった。 そういえば母の兄にあたるおじからは「ワーシャと学校友達」というロシアの本をプレゼントされたことがあった。後に「ヴィーチャと学校友達」というのが正しい日本語版のタイトルだと

          「硝子日和」のこと

          私はガラス作家で本を書く人ではないので、文章を書かなくても生きていけるのですが…最近文字離れの生活のせいか(歳のせいか?)物忘れがひどく、言葉での表現がおぼつかない時があり、背筋の凍る思いをすることが多くなりました。 あれほど慣れ親しんでいたはずの言葉たちが、赤の他人のようになっていくのは寂しいです。つい最近も大好きだったビートルズの曲名がすぐに思い出せなくて…悲しかった。 友人のK氏は、まるで遊んでいるかのように暇に任せて次から次へと飄々と本を書いているかのようでし

          「硝子日和」のこと

          眼鏡

          生まれてこのかた視力は1.5から落ちたことがなかった。30歳をすぎてからも特に変化もなく、まわりに眼鏡をかけた若い人達を見ると気の毒に思っていた。小さな子供にいたっては親の責任だと思っていた。暗い所で読書をしたりファミコンに興じた結果だと勝手に決め込んでいたのだ。 そんな私が、転職して図面をひくようになった5年目あたりから、細かい作業の後に周りの景色がぼんやり霞んで見えることが多くなった。疲れ目だから休めば治ると思っていたら、どうやらだんだんひどくなっていくようだった。老眼

          光の魔法

          生まれて初めて色ガラスに触れたのはいつのことでしょう? ラムネの瓶の淡い緑、金魚鉢の縁の青、色とりどりのビー玉やおはじき、風鈴やビードロ、お父さんのウィスキーの瓶…子供の頃に出会った色ガラスの美しさに心奪われた経験はありませんか? 私は7歳まで祖父母に預けられて育ちました。幼いころを過ごした静岡県の大井川河口近くの川尻という町には、東芝の大井川工場がありました。当時は(昭和30年代)高い塀もなく松林を通り抜ければ守衛さんの目を盗んでたやすく工場の裏手に出ることができました

          ステンドグラス職人が文章書いてみた

          初めまして。 ステンドグラス職人の小林です。 ステンドグラス工房「Glass in」を立ち上げて38年目になります。 この道一筋というと聞こえはいいのですが、裏を返せばこの世界しか知らないということなので、ちょっと違う世界を覗いてみたくなりました。 友人がnoteに一連の作品を掲載したのをきっかけに、それを読もうと自分も登録してみたのですが…まだよくわかりません。 ブログに自分が書いていたものが数年手つかずになっていたのを思い出し、こちらへ少しずつ移していようかなと思い

          ステンドグラス職人が文章書いてみた