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「資格」グラフィティー②社会保険労務士...の続きの続き(最終回)

本試験は1999年7月27日でした。前日は何時頃寝たんだろう?普段よりちょっと遅めの就寝で、午前3時頃には寝れたと思います。当時は若かったので3時間寝れば次の日はなんとか活動できていました。そういえば講師の誰かが(小磯先生だったかな?)「試験前日は緊張してなかなか寝つけないかもしれませんが、1日ぐらい寝なくても死にませんから大丈夫です」と言ってくれたので心強かったです。

で、試験開始時刻は覚えていませんが、寝過ごさないために恥ずかしながら親にモーニングコールをしてもらいました。試験会場は王子の中央工学校でした。歴史のある専門学校で田中角栄も卒業生だったりします。

午前は今は無き記述式の問題でした。文章中の空欄を自分の知識だけで埋めなくてはならず、覚えてなければアウトなので精神的に重かったです。解答数に対して時間的な余裕もあり、一通り解くことはできました。ただし労働に関する一般常識は少し迷ったところもあります。今でも覚えているのは「賃金支払いの5原則」「シルバー人材センター」と記述する部分。賃金~については「支払い5原則」としか書きませんでした。試験終了後、某資格学校の解答速報会に出たのですが、「賃金はなくても大丈夫でしょう」と言われて少し安心しました。それから「シルバー人材センター」については、材の字についてネットで話題になっていました。フォントによっては「木オ」となるので、「木才」だと間違いではないかという噂が流れていたのです。僕は「木才」と書いており、漢字の書き間違いも不正解になるためドキドキしてしまいました。
(結果的にはもちろん「木才」でもOKだったと思います)
いろいろと不安な面もありましたが、午前の記述式は各科目3点以上クリアできたようです。

午後は択一式です。3時間以上に及ぶため体力的にしんどいですが、時間的に余裕があるので焦ることはありませんでした。ただし昼食後なので眠くなることを予想してカフェインの錠剤を飲んでおきました。それで頭が冴えたかどうかは分かりません。結果として手応えはまあまあで、各科目6点は取れてそうな感触でした。後日自己採点したところ70点中54~56点だったと思います(よく覚えていない)。解答速報会で「50点以上取れていれば大丈夫」と言われていたので、これまたホッとしました。

試験が終わってから3ヶ月以上が経過し(長かった・・・)、運命の1999年11月1日。8割方合格しているだろうと思っていたので、当日は有給休暇を取得して都庁まで見に行きました。暇だったんだろうか・・・。

1999年11月1日の都庁
定刻になり職員の方が貼り出します。
合格者の番号と名前が出ています。
他にも見に来ている人が多数いました。

予想通り合格していました。その場で親に電話したのを覚えています。そして、あまりに嬉しくて合格者の名前が載っている官報を2部買ってしまったほどです。

本格的に勉強を始めてから11ヶ月弱で合格できたわけですが、当時と今では試験内容や難易度が違うと思います。この文章が今の受験生に参考になるか全く自信が無いですが、自分の青春の記録として残しておきたかったのです。

合格できたのはTACの講義を真面目にこなしたことが大きいです。今でこそ社労士関係のテキストは書店に豊富に揃っていますが、当時はまだ少なく、選択肢があまりない状況でした。その中で頼れるものはTACの教材と講義です。質も量も十分であったと感じています。そんなわけで今でもTACを贔屓にしており、数年前に宅建士の勉強を始めたときもTACの教材で揃えました。

社労士試験についてはこれで終わりです。ここまで読んでくださった方(いるのかな?)ありがとうございました。社会保険労務士は困っている人を助けることができる素晴らしい仕事だと思っています。いつか、同じ志を持った方と一緒に仕事ができることを願っています。

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