「私」のこと
自己紹介を兼ねて
私は、15年くらい前まで都内の私大で働いていてそのままそこに就職して生涯を終えると思っていた。そこを辞めてしまった理由については、傷つけたくない人を傷つけたくないので、多くは語らない。
が、そのときに漠然と感じていたのは「なんとなくの居心地の悪さ」だった。研究活動は好きだったし、恩師たちに感謝もしていた。同期とも比較的良好な関係にあったと思う。
一方で私は共産主義、社会主義を標榜する知的集団がどうしても苦手だった。思想的には共鳴できても、なんとはなしに、そこにいると恐怖を感じた。自分でも戸惑い苦しんだ。思想的には共鳴するが、他の人のように、「そこにいること」そのものに何か言いしれぬ恐怖を感じた。
いま飛び出してみて思うのは、それは、ハラスメントとかいった生易しいものではなく、その場から異質な何者かの存在自体を抹殺したいという無言のコードの強要だったように思う。これが、自分自身のセクシュアリティに根ざすものと気づくまで多くの時間がかかった。
いま、近くの県で小さな塾や参考書、物販などをやる店を一人ではじめ、いわゆる「女子たち」が出入りする空間にいると安心する自分を感じている。また同時に、男子も女子も、同じような苦しみにあってほしくないと強く思う。それだけが願い、とさえ最近は思う。
最初の記事で石丸さんを批判するような記事を書いたが、私は、蓮舫さんの所属していた立憲民主党や日本共産党の支持者ではないし、自民党とか維新とかいう人々の支持者でもない。はっきりいえば、彼ら全員が心底嫌いだ。彼らの作り出しているあの空間自体が私の存在を抹消しようとしたそれと結局は同じだとわかるからだ。これはジャーナリストなる人々の集団にも、IT起業家とやらの連中にも感じる。
逆にその中で戦い続ける女性は、心から応援をしたいと思っている。蓮舫さんだけではない。辻元清美さん、野田聖子さん、高市早苗さん、右左問わず、彼女らは立派だ。そして、強いと思う。少なくとも、男性コミュニティ内で延々と同じことを繰り返してる連中よりはずっと。
LGBTQという言葉が広まる遥か前から自分がそうであろうとは思っていた。だから私の敵は、一貫してこの男性コミュニティを”悪意なく”存続させようという力学でしかものを考えられないサルたちだと思っている。
この手の人たちの餌は左であれば都知事選では小池百合子氏だっただろう。右であれば蓮舫氏であっただろう。彼らはそれを叩きまわるか、あるいは、言及せず邪険にし「あいつはねえ・・・?」とアイコンタクトを取り合って、お互いに胸をなでおろす。明日もコミュニティが機能する。そこで評価されるように立ち回ればいいんだ、と。
矛盾するようだが彼らの多くは悪意はない。女性を蔑視してるとかいった意識もないしなんなら理解がある風なことをいう。大学の教員の多くがそうであるように。悪意があってくれればどれだけマシなことか。変えられるのだから。
彼らがそうした過程に乗っかるのは何が原因というわけではないと思う。リア充への妬みとかいったものでもないと思っている。ミソジニストは往々にして女好きだ。だからぱっとみた印象ではわからないし、学歴も年収も関与しないように思う。
ただ唯一共通点をあげるとすれば、すぐに「家庭環境」に原因を求めたがるということだろうか。歴史研究をしていると「こういう家庭環境だったんでこうなった」としたがる人が多い。説明がつきやすいことに加え、自身のルサンチマンなどを”親のせい”にできるからだ。私はこれを家庭環境決定論と当時、よんでいた。わかった気になるので、かなりの人が陥りやすい。
そこには、「親ならば許される」という主として母親=与える女性の肖像 への甘えが見え隠れする。ベースになるのはこの「すぐに家に結びつけたがる思考」ではないだろうか。そうであるがゆえに、家を神聖なものとする伝統的家父長制とたやすく合流でき、そこからほとんど無意識に、与える女性のみがそこにいて許される存在として刷り込まれることになる。
子どもが学校に行くいかないを不登校というらしいが、学校側の対応に遭遇すると彼の場合は、ほとんどが”めんどうなので””組織を守るため”親のせいにしたがる。接し方がどうとか、声かけがなんとか、といって。
当たり前だがある機関に通う通わないはその機関が魅力があるかどうか、辛くないかどうか、にすぎない。子どもが学校にいかないのであれば責任は第一義的にはサービス提供者にあるはずだ。学校もまた同じように不文律を利用者に強要し、それの受け入れを拒否する利用者を排除するベクトルで動いている。はっきりいえばそうでない場所を探すほうが難しい。
私自身は主として、日本のおける女性解放思想については恩師たちから薫陶を受けた。いまでもそのことに感謝している。考え方の根底を変えてくれた出会いであったと思っている。たとえば、蓮舫さんの「白スーツ」、私はとても誇りに思い、嬉しかった。が、一方で私は女性ではないから、彼女らに同化して、権利を主張することはできないしそのことに興味もない。
自分の手で「そうでない場所」を守って後世に伝えたい
あまりにもそれが少ないから
それが唯一ののぞみであり、実現したい夢であると思っている
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