新庄剛志さんから学んだことー”日常”は誰が作り出すか
新庄剛志監督(現:日本ハムFIGHTERS監督) のこと。何か書いておきたいと唐突に思った。なぜか不思議にこの人と、チームの若い選手たちが気になって仕方がなくなぜか毎日野球の試合を見ている自分がいる。なぜだろうと思い、その理由をここに記す。
私は、それまで野球などはなくなればいいとさえ思ったいたので、彼に限らず、野球選手全般にまったくの無関心だった。が、彼が監督なる前に、バリ島で「もう一度プロ野球選手になる」とインスタで報告してるのを見た。「みんな夢を持っているかい?」と。私はそれが、私が大好きだったイギリスのロックスターたちの姿ととても被って見えた。誰かの心に何かを残したい、誰かを変えたい、という思い。それを感じた。それから彼が何をするかには注目するようになった。この人はこれから間違いなくジョン・レノンやデビットボウイのようなことをする、そう確信したからだ。
彼が監督になって、ルールもろくに知らない野球を見るのは私には苦痛だった。特にいわゆる「野球ファン」といわれる男性の方々の言動は、私がこれまでの人生で、男性が権力を振り回して異性を攻撃するふるまいそのものであり、不快でしかなかった。それでも一応、彼の言動や選手たちの言動は見るようにしていた。
今年になってキャッチャーを守ってる田宮選手、内野をやっている水野選手、外野の水谷選手が活躍するようになり、私は気付いた。彼がこの若い20代の人たちに何を伝えたがってるか、を。そしてそれが、日本人がいま知らなければいけないものだ、と。
彼は選手たちに「チャンスは一瞬」と言っているという。そしてそのために日常から努力せよ、と。私もはじめは平凡な自己啓発的言動と思っていたが、チャンスをつかむべく目の色を変えて泣いたり笑ったりしている選手たちを見て気付いた。彼の言葉の本意に。
よくある自己啓発的言説の多くは結局は本人たちの捉え方の問題に議論を持っていき、「起業」だったり「転職」だったりに誘導して自分たちが利をえようというものばかりだろう。特に人材派遣業界と自己啓発が組み合わさると非常にわかりやすくこうなる。高額なセミナーや書籍を購入させ、信じた人が被害にあっても知らん顔。こういう連中がいまはyoutubeなどに大量におり、被害にあった人の数もかなりの数にのぼっている。
よくある言い方はこうだ。「いつもつまらない仕事をしていませんか?」「毎日、退屈で平凡だと思っていませんか?」こういう言葉から入り、それは「あなたの心の闇」が云々いって高額商材を買わせる。(私のこのノートを見てこれに心当たりがある方、早速、それらの言説からは距離を取ってください。 )
新庄氏もおそらく心優しく繊細で、自己啓発的なものに数多く触れてきたのだろう。言動の多くがそれに基づいているからそれは察することができる。
だが、彼の言動が上のような典型的な自己啓発論と違っているのは、そのつまらない毎日=仕事を壊すのはいまの自分の”ふるまい”だ、という発想だ。単純に言えば、いまの自分の目の前のこと「一所懸命やれ」と、それ以外に何かを「楽しむ」、手段はないよ、と。
この「一所懸命」が彼の言動のキーになってる。彼の言う一生懸命はあくまで自分のためのものだ。そうすれば人生そのものが豊かになるからだ。誰かのためにはやるな、自分のために「一所懸命」をやれ、と。それは思考放棄して自分の内面に埋没すればいい、という浅薄な自己啓発論とは異なる。一生懸命の中に、環境を社会を分析・理解し、勝つために何が必要かを知るようにというメッセージがこめられる。これは彼が、残酷な勝負の世界を生きているからこそ身につけられたことだろう。
私は社会科学を研究した人間だ。この手の言動に共感することは人生でほとんどなかった。だが、今は考えが異なっている。日本企業の中で従業員全員が「一所懸命」と思ってやっている場はどれほどあるのか。これそのものが社会科学的な分析対象になるべきことだろう。
今の目の前の仕事に「一所懸命」になれない人材を配置さえいじれば、転職させて流動化さえさせれば生産性が上がるはずがない。「その場」に留まったとしても一生懸命に考え実行することで、「新しい挑戦」が可能になる。それは所属企業のためでも社会のためでもない。自分自身の人生をより豊かにするものだ。
社会科学者の多くが考えるように、社会構造が先にあって人間はそれに従って配置されたマリオネットとして生きているわけではない。人間の意識、思いこそが社会構造を生み出し作動させている。退屈な毎日、ストレスフルな日常を作り出しているのは、「一所懸命」になることを忘れさせてしまった何物かだろう。そして私は、それこそが、男性の苦悩につながり、モラハラやDVといった性暴力へと転嫁し、それそのものがまた次世代の「一所懸命」を否定し、賢しく生きていく人間を作り出していると考える。
子を持たない新庄氏が、おそらくは若い世代に何かを残して去りたいと思っただろうとき、一所懸命に毎日を過ごすことをまっさきに口にしたのは、おそらくは彼自信が一所懸命に生きれなかった過去の自分に後悔し、人生を取り戻すためにいままさに一所懸命に若い選手に向き合っているからだろう。それがたまたま監督というポジションだっただけで別のポジションでも彼は同じことをしただろうと思う。
我々はいま未曾有の経済的、社会的危機の時代を生きている。未曾有の少子化、産業構造の変化への対応に遅れをとった日本企業、そして為替や株価、疫病、戦争と貧困。これを打ち破って新しい時代を迎えるキーワードは案外この「一所懸命」かもしれない。それは社会への思考放棄でも、自己への埋没でも、盲信でもない。勝つために必要なことを考え理解し知り、勝利を切り拓いていく挑戦のための、極めて戦闘的な「一所懸命」だ。新庄氏と彼が接している若い選手たちにそれを教えられ、私自身、毎日を戦っていこうと思っている。
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