売り言葉に買い言葉

言葉はいつも情報量が多くて野暮ったい。一言一言言葉に変えてしまっていたら、めんどくさくてカッコつかないだろう。
人間は思ったことを口にすぐしてしまう。痛い、暑い、悲しい、辛い、嬉しい、寂しい。しかし、言葉というものは明白にしすぎてしまう。悲しさの中に含まれる寂しさや儚さ、喪失感や孤独感を全て一括りにして悲しいとさせてしまう。
言語が生まれてから、人間が思う感情は明白になってしまった感は否めない。本当は人間の感情なんてものは、口にはできないほど綺麗で美しくて残酷なのだ。好きも同じである。likeとloveで分けたとはいえ、好きはひとつでしかない。それなのに、性衝動だったり安心感だったりと好きの内容はそれぞれなのである。
男子中高生は、体つきのいい子に対して好きと言ってしまうかもしれない。それは愛情なのか、性衝動なのか分からない。恋というのは元々「戀」と描く。これは千切られた糸と糸が心で繋がっている漢字である。心で繋がる事は、目では確認できない。だから人間は目にしたくて、言葉にしたくて性行為に励むのかもしれない。言葉、目、文字、そんなもので語れるほど人間の感情は単純じゃない。
しかし、この世の中は言葉と文字に溢れている。自分の感情を分類したい、なんなのか理解したいと言う端的な願いから自分の精密でとても美しい感情を言葉にしてしまう。心に留めるということ、それは私にも難しい事だ。しかし、そうしなければ保てない美しさもあるのでは無いだろうか。
人間は美しい、だがしかし、時に哀れでもある。
それを理解して生きることが、幸せへの1歩なのかもしれない。

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