”集合知”の定義への不満
あるサイトに書かれていた「集合知」という言葉の定義に驚いた。
文字通り「集まった知識」「集まった知性」という意味ではないらしい。
たくさんの人の知性を集めると、より優れた知性が登場するという考え方
正直、不満である。
納得いかない理由は2つある。
概念である
「集合知」という言葉からしてとにかくなんらかの「知識」という意味を示す名詞であることが妥当なのにも関わらず、考え方、つまり概念を指しているのが納得いかない。
これにより、「集合知が生まれる」という例文が使えなくなってしまう。
なぜならこれは「新しい知性が登場するという考え方が生まれる」という、予想していた意味とはかけ離れたものになってしまうからだ。
「新しい知性が生まれる」と表現したい場合は、「集合知が現実化する」という難しい表現をしなければならなくなるのだ。意味が飛躍している
集合知という言葉から想像できないほど定義の内容が飛躍している。
「集合知」=「集合した知性」が妥当であると思うが、
「集合知」=「集合した知性からより優れた知性が登場するという考え方」
となってしまっているのが飛躍していると思う理由である。
それだったら「拡張知」とかの方がしっくりくる。
「集合知」=「知性の和集合」
「拡張知」=「集合知(知性の和集合)に含まれていない優れた新たな知性が、集合知から生まれるという考え方」
というように区別してくれた方がスッキリする。
そうすれば、「新しい知性が生まれる」と表現したい場合は、「拡張知が現実化する」という難しい表現以外にも、「集合知から新しい知性が生まれる」という表現ができるようになる。
結論
「定義を変更しろ」と申し立てたいとは別に思わないので、今後は「集合知」という言葉と出会ったら自分が思う「拡張知」に読み替えていこうと思う。
ちなみに集合知という言葉の定義を調べたきっかけは、もし全人類の知識・知恵を得ることができたら自分は神のような存在になるのだろうかと思い、その「全人類の知識・知恵」というのは何と表現すれば良いだろう、そうか、集合知か、と思い、一応確認のため集合知という言葉の定義を調べてみた、という流れ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?