この世をば 2022/12/31

この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば

上記の和歌は、藤原道長が詠んだものである。
藤原道長は、摂関政治によって政治の実権を掴んだ。
その結果、彼が思うがままに政治が動いた。
そのような気分で月を見た際に

私が思い通りにならないことは月の満ち欠けくらいだなぁ
と考えたのが上の歌だ。

大晦日の夜、私は勉強していた。
就職活動の知能テストの為の勉強だ。

知能テストのために勉強するって意味ある??

とか思ったが、そうしてできないことをできるようになるために勉強する過程が大切であり、そのことができるかどうかを企業側が判断しているのであろう。

私はブラジリアン柔術と柔道が好きだ。しかし、最近バチコリ大きい怪我をしてしまい練習ができていない。SNSなどで年始年末のオープンマットの様子を見て羨ましく思った。

 しかし、今自分にできることをやる、そうすることで怪我が治った時には精一杯練習ができると思い、知能テストの勉強をしていた。

 その後家に帰宅し飯を大量に食べた。むしゃくしゃした時は飯を大量に食べてしまう。
米2号と納豆三個、卵🥚五個に餃子、パスタ300gに鶏肉一キロを食べた。

 なぜあの時の自分はむしゃくしゃしていたのだろう。
大晦日、というただ永遠に連続する時間の一部分に過ぎない中で非日常を感じている他人に腹が立ったから? 違う。

 おそらく自分は嫉妬していたのだ。多くの人が大晦日という日に非日常感を味わっている。練習をしている人は大晦日にも練習するという充実感を味わっている。
 しかし、自分はそれには参加できない。だから、自分にできることをやるしかない。日常の繰り返しのようなことを続ける事しかできない。その現実と理想のギャップの大きな隔たりを埋めるために、行き場のない怒りを覚えたのだろう。

 無論、大晦日を感じるために
・お参りをする
・TVを見る
・人と会う
などはできるのだろうが、自分はそのようなことは心から楽しめなくなってしまった。練習をする事、強くなるために行動する事でしか自分は心から楽しめないのだ。これは最早、

柔術が好き、というより
柔術に呪われている

と言った方が的確だろう。

2年前の大晦日、私は柔術の練習をした後にジムに行きスクワット120kg 10rep 5setをしたのを思い出した。
あの時の私は、この世で今自分が一番幸せだと胸を張って言えた。
あの時の充実感と幸福感を今後も感じれるのだろうか。

考え出すとどんどんネガティブな考えが頭を支配するので銭湯に行くことにした。

銭湯に行く道中に自分の考えがどんどん整理されてきた。

 自分は、現在大学生で就職活動をしている。しかし、楽しいことが柔術くらいしかない。
というより柔術が楽しくて楽しくて仕方ない
。このまま柔術を専業にしてしまおうかとも思ったこともある。
 しかし、多くの柔術家と呼ばれる専業の人にとって練習と試合で食べている人は少なく、道場運営と指導をメインに食べている。
 自分は練習と試合は好きだが、指導はそれほど好きではない。大学柔道部の際も練習は好きだが、後輩指導は少し苦手だった。
 以前カルペディエム三田の竹浦さんのnoteに練習と試合が好きなら趣味でやった方が良いと書いていたような気がする。

 自分は柔術専業家になるのではなく、社会人でバリバリ働きながらバリバリ柔術がしたい。仕事をした上で柔術も強い、というのが私の理想だ。
 もちろん、それが難しいから皆専業になるのだろうが自分はそれを実現したいなぁとぼんやり考える。

  などと考えていると銭湯についた。

初めて来たスーパー銭湯


まず体を洗い、銭湯に入った。

私はまずは露天風呂に入ろうとした。
露天風呂はかなり広く、入り口から浴槽までがかなり遠かった。

当たり前だがめちゃくちゃ寒い。
さっきまでしっかり防寒していても少し寒かったのだ。全裸で外にいたら寒いのは当たり前だ。そら、ひらパーのアトラクションに取り残された人もしんどいだろうな、大丈夫なのかな、などと考えていた。

震えながら湯気が立っている湯舟に浸かる。

きんもちいいいいいいいいいいいい!!!!

思わず、あっー、と吐息を漏らした。
極楽だ。
上を見上げると星と月が見えた。
月はかなり欠けていた。

菅原道真もこんな気分だったんだろうか。
色々悩みはあるが頑張ろう!

そう思った大晦日だった。

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