入院中の母との備忘録

5月25日(月)

外来に行きそのまま母が入院をした。個室に入院をする。今日すぐに腹水を抜くのか病棟の医師に尋ねられて、母が戸惑っていると医師から明日抜こうとの提案があった。

5月26日(火)

腹水を針で4リットル以上を抜いたと母から電話が入る。母は、ラジオがないので困っていると話をしていた。この日は母が疲れていると思い母に会いにいかなかった。

5月27日(水)

入院して2日間、持たせたはずの小型ラジオが見当たらないと言うので、大きめのラジオを持って病棟へ行く、母の荷物を整理してみると看護師さんが探せなかっただけだったラジオがあった。母の元気がなかった。個室に1人だからだろう。水を買って渡して決められた時間の10分だけいて帰る。母は人あたりがよく人に好かれるし、人の輪に入るのが好きだ。

5月28日(木)

母の病室に行くと荷物もなくベットが空だった。部屋を移動したみたいだったので病棟の看護師さんに尋ねると、母は大部屋に移っていた。大部屋に行くと母は看護師さんにお風呂に入れてもらったと喜んでいた。元気そうにも見えた。病院の近所のスーパーで買ったお茶と水のペットボトルと下着とマスクを渡す。スプーンが欲しいと言うので売店で買って渡す。ディルームの氷を渡すと、とても喜んでいた。この日は入浴した所為もあり調子が良さそうだった。病室の人とも馴染んでいた。

5月30日(土)

洗濯した寝間着や着替えを渡しに病院に行った。病棟に行く際は何か持っていかなければ母とは面会ができない。母と10分間だけの短い再開をした。母の体調がとても悪そうだったそんな母を見て私は、落ち込んでしまった。

6月1日(月)

母から電話が入る「具合悪いし来なくても良いよ。退院するか入院を続けるかを迷っている」と言われた。母がそういう時は大抵来てほしい時だ。「今日は仕事で行くことが出来なんだ、明日は、お医者さんとの面談があるので、会いに行くよ。不安だったら退院せずに外出したらどうかな」と母に話してみた。実際、私の仕事が残業になってしまい母に会いに行く時間がなかった。この日は、私も疲れて早めに就寝をした。

6月2日(火)

外来の医師が病棟の勤務をしてないので、入院中は違う医師に交代となる。病棟の医師との面談があった。母と兄と私で面談をすると、母は、歩行器では歩けなくなっていたので、車椅子で移動をする。医師からは家族の考えと本人の考えを尋ねられた。私は、「希望を持った方がいいから、今後緩和ケアの病棟に移るにしても、退院するまでの病状じゃないのなら、一度外泊をするというのを希望して目標としてはどうでしょうか」と提案をしてみた。医師によると緩和ケアの病棟でも今の感染症の影響で出入りが出来なくなっており、一泊したら、個室に移って大部屋に移動をするルーティンになっていると説明がなされた。一般病棟のままでいるのか、外泊をするのなら、少し元気な今のうちにした方が良いとの提案があった。母は生きたいという気持ちがとても強く、案外腹水を抜いて入退院を繰り返すかも知れないと思った。もしかして長い戦いになるかも知れないと思う。

この話し合いを受けて、外泊当日の車椅子の準備の相談をケアマネさんに連絡すると入院中は介護保険の適用がされずに、一日のレンタル代となると話された。ケアマネさんは、介護保険の適用外のサービスは相談にのれないというスタンスだったが、福祉用具の扱いの会社に電話をしてくれた。こんなカテゴリーわけされていると思わなかった。福祉の連携と言っても家族からには、つながりが可視化されてないように感じた。

感染症がなければ、お見舞いに行って、母と自由に会うことができるのにと思う。私のことを本当に母は頼っていると思う。私が誰かに頼ろうとしても本当に誰も助けてくれないのが実情だと思った。でも少し兄が協力してくれるので兄と共に母を支えたいと思う。

市役所から送られてきた介護認定の介護度も上がった決定通知がこの日、届いていた。当日は外で使用する車椅子は病院にて借りて、そのままの介護タクシーを利用する。母を迎える手はず、準備をすべて整えた。



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