泣いてばかりいる母が逝った日毎…喪失感が増す ちょっと色々と限界…眠れない どんだけの痛みを越えれば良いのだろう。 ターミナル日誌は誤字脱字を訂正加筆して完成させた。自費出版…で遠く離れたところに住む叔母に渡す。構成、推敲 この作業はとても辛かった。今下書きにしてるこのnoteのターミナル日誌も ちょっと下書きのままで、今見るのは辛い…いつかはまた公開予定。 まだ1か月しか経っていない。泣いてばかりいないで前向きに 進まないと…修論が1番辛いと思っていたけど、そ
危篤と言われてから母は3日の間、眠り続けて、すーっと息をするのをやめて亡くなった。立ち仕事を何年も続けているので体力があったのだと思う。母の人生が娘に見守れながら終了をした。 母が自ら眠るように息をひきとる方法を選択した結果である。危篤の母と過ごした私はこの3日間があったので、母の死を冷静に受け止められている。母は睡眠剤と併用したオキシドンという医療麻薬の副作用の効果もあり深く眠る事ができたと思う。 母が亡くなり自宅で母のものを整理すると母の荷物が極端に少ない事に私は気が
5月25日(月) 外来に行きそのまま母が入院をした。個室に入院をする。今日すぐに腹水を抜くのか病棟の医師に尋ねられて、母が戸惑っていると医師から明日抜こうとの提案があった。 5月26日(火) 腹水を針で4リットル以上を抜いたと母から電話が入る。母は、ラジオがないので困っていると話をしていた。この日は母が疲れていると思い母に会いにいかなかった。 5月27日(水) 入院して2日間、持たせたはずの小型ラジオが見当たらないと言うので、大きめのラジオを持って病棟へ行く、母の荷
母親のターミナルケアがはじまる。 自宅療養になる。 勉強があるから、気持ちが保てる。 大学院にもう一度行って論文を書きたい。 そう思う気持ちは消えない。 有事に我が社の社長は頼りになる。 仕事も在宅勤務となり母を支える。 わずかな時間を貴重な時間を悔いのないように支えようと思う。 社会福祉士を目指すのだから、冷静沈着に、物事を見つめるために、母親との関わりを仕事、いや実習だと思う。勉強だと思って、親子の距離感で傷つかないように、 関係性を保持しようと思う。
2か月前に頼んで忘れそうになっていた布マスクをx教授の研究室に送る要らないけどという返信を絶妙なシニカルさで返信を頂戴した。コロナが終息したら真っ先に先生に会いたいよしもと芸人のツッコミも負けるぐらいシニカルなツッコミが面白い。
○パータンA:議論する話しが噛み合わない。批判される。嫌な感じ。●パータンB:議論する面白いと思う。批判される物凄く視野がひろがる。その意見に感謝する。Aは、Twitterのいわゆるクソリプって言われるものと同等なのかもしれません。
例のマスクはいつ?中国が縛りを緩和して市場に少しづつマスク出てるよ。特定給付金はいつ?何故こんなに遅いのだろう?突然の失業者や貧困を救うのに、こんなに遅いんじゃだめだよ。特定給付金を急がないと!後で富裕層から得意の構築されたシステムで税金で回収すれば良いじゃない?なんだろう?
恋愛激情型で周りが見えなくなる人達。 凄く理解に苦しむ、悲哀さえ覚える。 好きになるのはしょうがないとか、それはそうだと思う。理屈じゃないのもわかるだけど、一旦冷静になって、結婚するんだったら、尚更、余りにも格差、経済資本(収入)、文化資本(学歴)の差異がある場合、物凄くバランスが保てない。生家が中流階級同士でないと格差を埋める、それを維持するエネルギー原資が想いだけだと、幾多にも続く結婚生活では、格差を意識する方が負荷となって背負い込む事になる。『恋と愛とは違う』と思う
辛いなぁ。x教授に会えないの、 ゼミも中止だし.....。 どんだけ心の支えだったか。 大学院の思い出は先生と共にある 先生の誕生日会をみんなで、 盛大にやりたかった。 大学の授業の助手役のアルバイトも この皆目見当のつかないウィルスの影響で、 なくなっちゃったみたいだし。 リモート授業だと私は必要ないのかな....。 x教授に私は、依存しすぎてたんだよなぁ。 先生から巣立ちの時と思うけど、 巣立てないだぁこれが、きっと先生は遠隔授業の準備で今、凄く忙しいと思う。 最初は
札幌では、落ち着いたと思った、 新型コロナウィルスの感染の第2波が 襲来をしている。 学校の休校が決まり子どもの姿がない。 街には子どもの姿や街角で遊ぶ子どもの声が聞こえない。子どもの声が皆無の社会は異様である。 まるで、ゴーストタウンのような 異質で異様な空間を歩いていると、 こんな事が起きるなんて、 誰も一年前は、想像もしなかったと思う。 人生は、予定調和ではない。思いがけない事が起こる。 ふと思う。陰性反応ではなく、自分が陽性だったら、感染したらと「死」というも
相手の発言を何でも悪くとらえることは出来るけれども、善意と受け止めると善意で物事を感じ見え方が違ってくる。配慮してくれていると思うとポジティブになれる。
大学院の同期とのお鍋パーティーがとても楽しかった。久しぶりに先生たちとお会いして、でも先生が寝ちゃった時、起こさないで、そのまま帰ろうとしたのは、本当に失礼だった。気持ち良く寝ていたから起こすのが可哀想だった。 酔って寝て起きなかったら起こすべきだった。でもそれが出来なかったのはトラウマがあったから、酔って寝ている人を起こして怒鳴られた経験があったからなのです...本当に反省。 大学院時代の事を同級生と会ったら、思い出しました。指導教授に論文指導の時間特別演習中に言われた
筆者が運営する子ども食堂で、参加した子どもが友達を呼ぶパーソナルネットワークが拡がっている。でも正直、本当は少人数でもう少し落ち着いてやりたい。 かなりテンションが高めな子どもたち、 担い手が少ないので、全員の子どもたちに目が届かない。 「お外は暗いので、遊ばないでね」と言ってもいうことを聞かない。 もし車道に出て何かあったら、と思ったら不安でもある。 子ども食堂の備品を壊したり、平気で嘘を言ったりする子どもがいる。この子は親も参加しているけど、頭の回転が速く記憶力
子ども食堂で開催時間が終わっても 家に帰らない子どもたち もう終わりだよと話しても、 帰りたがらないんです。 「ここ凄く居心地が良くて好きだもの」 たまに不満や本音を言う子どもたち、 それはリレーションが深まっている証拠ですよね。文句や不満ってどうして言うの?って思い!何故そんな事を言うのかな?どうしてなのかな?って考えてハッと気づきました!子ども食堂の仲間が不満を言う子どもが嫌って言っていて、私は嫌じゃない感じないなぁでもそれは何故だろうって思って考えたんですよ
■子ども食堂されど子ども食堂■ 子ども食堂の運営をしていると色々なことに対して日々気づきがある。運営者の向上心を刺激するような出来事が常にある。それは子どもへの接し方、対応力、知識の乏しさ故の気づきでもある。 子ども食堂の担い手は地域のおばちゃんたち、専門性がないから出来事る事もある。だからこそ、それ故に配慮のない発言で子どもを傷つけないか、運営者はボランティアの方への注意喚起が必要である。貧困食堂の一人称がひとり歩きする為に、子ども食堂という名称を使用するのをやめようと
Twitter@lessor_twさんより引用『勉強に集中して取り組めない」の背景にある多様な課題を見抜いて対応する力がない場所は、「きつく叱る」をエスカレートさせるばかりになる。』と述べている。これは!まさに正論。学習塾、寺子屋風な子ども食堂で子どもをど突くなどして、通報され逮捕された。この事件に対しての子ども食堂を運営する筆者の見解を述べる。 Yahoo!掲示板で繰り広げられる子ども食堂への批判、擁護、偏見の論争は、 惹起によってディベートした事案である。この逮捕された