『終点』前史〜cosMo@暴走Pの「らしさの呪縛」の話〜

cosMo@暴走Pと聞いて初音ミクの消失が出てこない人は今すぐ回れ右して消失シリーズを履修してそのまま3年この記事も表題の曲のことも忘れていてください。ジャスト3年でいいです。


ただしcosMo@暴走Pと聞いて初音ミクの消失が真っ先に出てきたもののそのことに複雑な感情を覚える人はどうぞお通りください。


うん、終点やリアル初音ミクの消失の前にまずはそういう文脈が『あった』ことから話さねばならない。と思ったので、終点とリアル消失の話をし損ねて'12年〜13年5月の話をしてしまいました。この二曲及びcosMo@暴走P史に興味ある方はお付き合い頂ければ。

といっても二曲の話は微塵もしません。その大前提となる話です。

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兆候は昔からありました。

といっても筆者がcosMoを聴き始めたのは2010年のことなのでそれ以前のことについては疎いです。

しかしながら少なくとも08年の空想庭園シリーズについたコメントに既にそういったものはあったかと思います。

つまり、

「消失みたいな速い曲書けよ」という要望が。

「消失みたいな速い曲だけ書いとけよ」

「それ以外は要らない」という勝手な期待、呪詛が。


2012〜13年上半期当時の状況を確認してみます。(以下年表も参考にどうぞ)

まだcosMo=ボカロPという肩書きのみであった頃の話です。暴走Pの代表曲1曲だけ挙げろ、と言われれば誰も彼も間違いなく「初音ミクの消失」を挙げる時代でした。

ほぼ全曲聴いている生粋のcosMoリスナーであっても、それでも「代表曲」をと言われれば消失を挙げるしかなかったのではないかと思います。私ならそうしたでしょう。

しかし初音ミクの消失は世に知られているLong ver.投稿が08年4月。shortなら更に前の07年11月。更に言えばそのshortの元となったのはインスト曲『偽りの冒険書』でもっと古い曲です。(電脳スキルあたりでDTM歴数ヶ月〜半年とかだった気がするのでその範囲内ではあると思う。もはや記憶が定かでない)

その間にcosMo@暴走Pはたくさん、たくさん曲を書きました。たくさんの殿堂入り=10万再生曲を生み出しました。敢えて数字で全てを語るなら、その多くが並あるボカロ曲をランキング上で一蹴できるほどの評価を得ていたはずでした。

けれど最初と最後に語られるのはいつも『消失』でした。

VOCALOID史における『初音ミクの消失』は、単に再生回数がとても多い、というだけで語れるものではありません。

まず、初音ミクに訪れる『終わり』の形を、明確にその瞬間として語った。これは一連の消失ストーリー(特に07〜08年)も同じです。

そして更に重要なのが、VOCALOIDにしかできない音楽があるのだということを高速歌唱によって表現し、実現した。この高速歌唱はいちいち名を挙げるまでもなく無数のPに受け継がれて今の潮流の根底の一つにすらなっています。一種の「戦犯」ですらあるでしょう。

そういう意味で消失への高評価それ自体は大変妥当なものです。ですが。

cosMo@暴走Pという名前よりも、初音ミクの消失は、高速歌唱曲は大きくなりすぎたのです。


2012年に戻ります。

12年のcosMo@暴走Pは楽曲リストを見る限り非常に多岐に渡って制作をおこなっています。

幻奏楽土シリーズ完結。小説版消失関連曲。DIVA書き下ろしSM工場。

(そして稼働直後すぐのSOUND VOLTEXへの曲提供。

非ボカロファンSDVXプレイヤーにとって当時cosMoはお世辞にも歓迎されているとは言えない状態でした。詳しくは割愛しますが、ボカロPだから、初期実装曲の評価が今ひとつ振るわなかったから、そして『激唱』の作者だったから、と総括できるかと思います。この文脈は『消失』とはそれほど関係のない文脈であり、徐々に向かい風は逆転しcosMoにとっては重要な「勝ち目」となりますがそれはまた別のお話。)

幻奏楽土シリーズは音楽によって最大限に物語を表現することに特化した作品群です。単曲でも大意は理解できるものの「空想庭園」と比べても物語間の繋がりが密で筋書きも明快かつ確固としており、それに比例して曲構成も長く複雑な、言ってしまえばSound Horizon等を意識させるようなシリーズです。必然最後までついてくるファン層は絞られるため、シリーズとしての盛り上がりはそこそこといった感でした──「消失シリーズと比べて」、ですが。もっともこれに関してはAI少女はここまで聴いてくれたファンの方向けに、といった発言もあったかと思うのでケミシス側も了承済みだったかなと思います。

SM工場ことSadistic.Music∞Factoryは、自身の死に怯える初音ミクが音楽家を工場に閉じ込め、自分の数日後の生存のために何でもいいから音楽を量産させ続ける曲です。DIVAボス曲というだけあり高速歌唱…ではあるのですが非常にトリッキーな作りをしており、消失系の連打ではなく分裂破壊とかに近いものです。メロディも難解でバイオレンスな歌詞、サムネも音楽も怖い……音ゲーとしての面白さ、あるいはその時表現したかったものを衒いなく表現する、代わりに動画として「ウケる」ことは二の次という印象を受けます。DIVAボスにしては伸びないなと思った記憶がありますが色んな意味で激唱と比べるものではない曲です。

そして13年の1月、ラクガキストが発表されました。

間違いなく暴走P自身の想いを綴った詞であるこの曲に、「らしさの呪縛」という言葉が出てきます。多分に諦念を含んだ曲です。

空想庭園や幻奏楽土、ディストピアシリーズ等ではむしろ珍しい要素であるにも関わらず、暴走Pらしさとは間違いなく高速歌唱である、と思われており、皮肉なことに、この楽曲は『GUMI版消失』と言える作りをモロにしておりました。


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ここからは筆者の当時の正直な所感ですが。

はっきり言ってラクガキストに消失ほどのメロディアス&キャッチーさはありません。高速展開裏で流れているのは『詠み人知らずの〜』の部分のメロディですが、消失とくらべて「弱い」です。

ゆえに、ああこんな(音楽的には)雑な二番煎じでも伸びるんだ、速ければなんでもいいんだ、どうせ歌詞だってろくに聴いちゃいない、聴いても自分のことに勝手に変換して「らしさの呪縛」なんて重すぎるワード読み飛ばして、その程度なんだろう。などとコメント欄を見ながら鼻を鳴らしていました。数字を確認したわけではないのですが、ラクガキストが大きく伸び始めたのはSDVXなどに収録されてからだったように記憶しているので、個人的にそこへの反感もあったかもしれません。
ラクガキストはボカロ100選に入れる程度には好きな曲ですし、じゃあ総合的な意味でも『劣化消失』なのか?と聞かれればむしろ総合点はこちらの方が圧倒的に上だと思ってますが。
消失の歌詞だって「こんな歌詞だったんだ」と言う人が結構いるので、いわんや、ということを認識して失望した、というか。複雑なお気持ちでした。

そうか、高速歌唱の人って、重荷でレッテルでもあるのか、と私が気づいたのはこの時だったんじゃないかと思います。

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ラクガキスト発表以降、4ヶ月ほどはコンピや歌い手アルバムへの提供に留まっており、ボカロ曲発表はされていません。いや今気づいたんですけど。

そして5月に発表されたのが『HΨ=世界創造=EΨ』でした。

別名義「黒猫アンティーク」。「名は業(動画主コメ)」「意味断ち 塵へと帰せ」。

「暴走P」という名に紐付けられた呪縛への反抗であり、逃走でした。

僕が作った3つの世界は既に僕のものではなくなってしまった。だから黒猫アンティーク、これだけは護り抜きたいのだと。

あるいはここで黒猫アンティーク名義で曲がヒットしていれば、この後の展開も無かったかもしれません。

何をもってcosMoがその試みでは足りないと断じたかは定かではありません。当時の大手-中堅ボーダーと言える10万再生を下回ったことか。灯油氏への提供と合わせやはりニエンテかと言われ続けたことか。あるいはもっと抜本的な解を求めてか。

8月9日、『終点』は提示されました。